天童くんと備忘録

 天童くんみを感じた文章の備忘録です。

 

魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)

魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)

 

 

心の中に生じたモヤモヤとした得体の知れない屈託を「悲しい」とか「切ない」とか「餃子が食べたい」という言葉によって言い当てることによって、われわれは自己の感情を突き放して客観視する契機を得る。どんなに複雑怪奇な現象もわれわれは言葉かイメージか数式のような記号によって把握しようとする。われわれ自身の思考も感情も、言葉の助けを借りてより深く、より詳細に展開することができる。しかし、ほかならぬ、この思考にとって欠かせぬ手段である言葉が、逆に思考を停止させたり、ミスリードしたりする危険をはらんだ曲者であることを、肝に銘じておきたいものである。(米原万里『魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章』新潮社 、1999年、pp.80-81)

 

この文章に思い出されるのは、コミックス第20巻収録の第176話「新鮮」での天童くんと若利くんのやりとり。

第176話、天童くんは若利くんが日向を嫌だと思う理由について話す。天童くんは指摘する。若利くんが日向を嫌だと思うのは、「得体が知れないから」なのではないかと。

天童くんは若利くんにとって思考や感情を客観視する契機を与える存在だ。「モヤモヤとした得体の知れない屈託」を生じさせる「複雑怪奇な現象」を若利くんにとっての日向だとすれば、日向への理解の手助けをする天童くんの存在は「言葉」ほかならない。

そして引用の中でも語られている通り、言葉は思考や感情をより深く、より詳細に展開することを助ける存在でもある。

同じ第176話、若利くんは天童の言葉を借りると、と前置きした上で「ノッてきた」と言う。さらに第179話「嫌な男」では、第176話での天童くんの言葉を借りるように日向について「何か嫌だ」と思う若利くんが描かれている。

天童くんは若利くんの思考や感情を展開する言葉を与える存在だ。

あと最後の一文の「曲者」というのもなんだか天童くんっぽいなあ、と思ってしまう。

 

 

 

 私たちは時間の経過とともに成長し、老いていきます。歳を重ねるにつれ、体や頭の動きが衰える一方で、多くの経験を重ねて直観力は鋭くなっていく。おしなべてみれば、人間の一生には全盛期も衰退期もないのです。だからこそ、“今さら”ではなく“今から”。好奇心をもって新しいことに挑戦することが大事です。(佐治晴夫「『今さら』ではなく『今から』。それだけで人生は変わります」、『暮らしのおへそvol.23』、2017年1月30日、pp.45-46

 

原作の天童くんというよりも、この先を歩んでいく天童くんがこうあってほしい、という理想をこの文章に見たのかもしれない。引用した中での「多くの経験を重ねて直観力は鋭くなっていく。おしなべてみれば、人間の一生には全盛期も衰退期もない」というのが個人的なこの文章の中の骨子かなあ。

直観というのが天童くんを連想させたんだろうな~と思ったけど、天童くんのプレースタイルは直観でなくて直感だった(ということに今更気がついた)。

でも直観の意味をインターネットで調べてみたら「推理によらず、直接的・瞬間的に、物事の本質をとらえること」と出てきたから、天童くんといえば天童くんかもしれない。

白鳥沢学園高校はバレーの強豪校で、そんなバレー部のスターティングメンバーとして天童くんはコートに立ってきた。そのための努力はきっと並大抵のものではないはずだし、それくらいに天童くんは自分の好きなバレーをすることに執着してきたのだろうとも思う。

けれど第21巻収録の第189話「宣戦布告・2」で、天童くんは高校でバレーを止めることを明言する。

天童くんの執着してきたプレースタイルは、現代のバレーシステムの中では決して歓迎される類のものではない。しかし、白鳥沢学園においてはそのプレースタイルは肯定された。天童くんにとって白鳥沢学園は、自分の好きなバレーのできる楽園だった。

第189話、白鳥沢学園高校に対する烏野高校の勝利をコートの外から見届けながら、天童くんは「さらば俺の楽園」と口にする。天童くんにとって自分の好きなバレーのできる楽園こそが白鳥沢学園高校であって、その敗北は他でもない楽園の終わりでもある。なぜならば、天童くんは三年生であり、春高出場は白鳥沢学園高校の選手として公式戦に出られる最後の機会だからだ。

自分の好きなバレーをするという点においては、確かに白鳥沢学園高校での三年間は天童くんにとって全盛期であったのかもしれない。けれど私は、白鳥沢学園高校での三年間が天童くんのこの先の人生においての全盛期であって欲しくないともずっと思っている。

バレーを止めたとしても、天童くんのこの先の人生にはたくさんの選択肢がある。きっといくつになっても新しいことはできるし、どんな選択をしたとしても、天童くんが幸せだとか、楽しいだとか思える瞬間はいくらでもあるのだと信じたい。天童くんの人生が、今も昔もこれからも優劣なくかけがえのないものであり続けてほしい。

原作の天童くんは私にとってどうも永遠の18歳というか、年を取っていくイメージもあまり湧かないんだけど、もしもこの先大人になっていくとしたらそうであってほしいな~と思う。

 

 

以上、ここ最近で天童くんみを感じた文章でした。