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映画『天国はまだ遠い』について

 

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ハッピーアワー劇場公開1周年記念特集上映「ハッピー・ハマグチ・アワー」これまでとこれからの濱口竜介

 

もう二年も前になるのだけど、アップリンクまで平野勝之監督やバクシーシ山下監督の昔のAV作品をよく観に行っていた時期があって、『天国はまだ遠い』を観終わったあと、思い出されてきたのがそうした作品群だったことがなんだか自分でも不思議だった。

一連の作品の中でも一番印象に残っているのが平野監督の作品で(タイトルと詳しい内容は忘れてしまった)、撮影当時懇ろな関係だった相手にカメラを向けたものだった。上映後に登壇した平野監督が「まーいけ好かない女でね」みたいに語っていたけれど、画面から平野監督の悪意が滲み出るような、そんな撮り方だったのが二年経った今でも印象に残っている。*1

正直胸糞悪い気持ちを覚えながら、けれど悪意という目に見えないものが映り込むその瞬間にはどこか面白さも感じてしまっていたんだと思う。とはいえそういう「何か」を捉えるために被写体(特に女の人)を貶める感じがどうも苦手になってしまって、その後関連の上映会にはパッタリ行かなくなってしまった。

このことを思い出していたのは、『天国はまだ遠い』の主人公(雄三)がAVのモザイク付けを仕事にしている、という設定のせいもあったんだと思う。そしてまた作中の、カメラそして雄三の身体を通じて亡くなった姉(三月)という目に見えない存在を捉えようとする妹(五月)の姿と、人間の身体を被写体とする映像ジャンルの代表格とも言えるAVという形態で、特に悪意という目に見えない存在を捉えていた平野監督のその作品にどこか重なる部分を見出していたのかもしれない。

 

エモーションというものを追求しない限り、僕には映画を作る意味というのはないんです。そうきちんと思えるようになったのは最近のことですけど。なので、答えになるかはわからないんですけれど、エモーションというのは当然見えないんだけれど、見えるもの、聞こえるものを通じて感知されるものだと思うんです。

 

演者を通じてエモーションは現れる。そのためには映っている演者の身体をその次元に至らせないといけない。どうやったら常にそれが起こるかというのは未だにわからないです。それでも、演者の身体から生まれてくるようなエモーションを直に捉えたいということはずっと考えています。

 

引用したのは、前作である『ハッピーアワー』に関連して濱口監督がインタビュー*2で語った内容だ。エモーションという目には見えないものを、演者の身体という目に見えるものを通じてカメラに収めるということ。その図式は、『天国はまだ遠い』において象徴的に描きこまれている通りだ。亡くなった三月という目には見えない存在へ、五月は雄三へとカメラを向けることで迫ろうとする。そしてその流れで、幽霊となっている三月は雄三の身体を借りることで五月と対話を果たす。一連の流れによって引き出された登場人物たちの怒りや悲しみ、喜びは、五月のカメラ、そして『天国はまだ遠い』という作品そのものに記録された。

幽霊、そしてエモーションという目には見えないもの。幽霊となった三月は、目には見えないという点において、濱口監督が捉えようとしてきた「エモーション」の象徴として作中で機能している。そして脚本の上でも、幽霊となった三月の存在そのものが、登場人物たちの「エモーション」を引き出すきっかけともなっている。

また、作中で雄三が仕事としているのは、映ってはいけないとされる身体の一部にヴェールをかける作業だ。本来であれば服の内に隠れて見えない身体を暴くというのがAVのひとつの性質だとすれば、モザイクはそうして暴かれた身体にあえて暴くための余地を付与し、見えないものを想像させる性質を持つと言ってもよいのかもしれない。

見えないものをいかに捉えるか。そうした姿勢を、いかにフィクションのなかに落とし込んでいくか。私が『天国はまだ遠い』に感じていたのは、濱口監督のそのような実験だったように思う。

『天国はまだ遠い』の背景にあったのは、間違いなく東北記録映画三部作や『ハッピーアワー』をはじめとした過去の作品だ。そして見えないものをいかに捉えるか、という問題とほぼ同等に取り扱われていたのは、相手を尊重し関係を取り結んでいくことの難しさという問題でもあったように思う。特に雄三と五月の会話には、フィクションでありながらもどこかぎょっとするほどにリアルな、怒りや不信の感情が通っているようにも感じられた。

とはいえ、『天国はまだ遠い』の底に流れているのは軽やかさであり、あっけらかんとした陽気さだったようにも思う。音楽に合わせて部屋で踊る場面、そして雨のなかを並んで帰る場面の雄三と三月の姿に、私は特にそうした性質を強く感じていた。

 

濱口竜介特集上映、時間の都合がつかなくてあまり行けなかったのが若干心残り。

また都内の別の映画館で特集上映をやってくれたらよいな~。

*1:餃子を食べながらカウンターで飲んでる場面があるんだけど、そのときの平野監督の受け答えといい、食べながら喋る相手の口の中が見えて汚く見えるのをあえて編集しないで残す感じといいそこはかとない悪意を感じてうわあ…と思った記憶がある。

*2:『ハッピーアワー』濱口竜介インタビュー「エモーションを記録する」http://www.nobodymag.com/interview/happyhour/index.php