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『チェルノブイリの祈り』

 

 暗赤色の明るい照り返しが、いまでも目のまえに見えるんです。原子炉が内側から光っているようでした。ふつうの火事じゃありません。一種の発光です。美しかった。こんなきれいなものは映画でも見たことがありません。夜、人々はいっせいにベランダにでました。ベランダのない人は友人や知人のところに行ったのです。私のアパートは九階建てで、見晴らしが抜群でした。子どもたちをつれだして抱きあげ「さあ。ごらん。覚えておくんだよ」。それも、原発で働いている人だちが。技師、職員、物理の教師が……。悪魔のちりのなかに立ち、おしゃべりをし、吸いこみ、みとれていたんです。ひと目見ようと何十キロもの距離を車や自転車でかけつけた人たちもいた。私たちは知らなかったのです。こんなに美しいものが、死をもたらすかもしれないなんて。(p.168)

 

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

 

 

シン・ゴジラ』を観たあとに購入した一冊で、読みながら考えていたのはチェルノブイリのことよりもむしろ震災のことになってしまっていた気がする…。

p.131に「人間はあらゆる生き物にむかってチェルノブイリをふりあげてしまった」という文章があって、ああそうかこんなにも強大な力をもつ原発を人は道具として使ってしまうんだ、という事実を突きつけられた思いだった。

 

忘れちゃならないのは、こういったことすべてが起きた背景にあった意識、あの当時、一〇年前の私たちがどんな人間であったか、ということです。(中略)わが国の平和な原子力は泥炭や石炭と同じくらい安全なんだと、みんなが教えられていたんです。私たちは恐怖と偏見でがんじがらめにされた国民でした。信念という迷信で。(p.239)

 

p.239の文章には『シン・ゴジラ』で矢口さんのしてた根拠の無い楽観の話をすごく思い出したし、『シン・ゴジラ』を観たときにはその話に震災のときのことを思い出していたんだよね…。

シン・ゴジラ』もう一度観に行きたい気もする。