なしのつぶて

下書きに入ってた日記みたいなもの。

 

 

 

この前、友達の二次創作の小説へ感想のお手紙を書きながら、何かについて文章を書くということは自分の個人的な思い入れを傾けることなのかもしれないなあとふと思った。

そしてそれは個人的に急須から湯呑みに熱いお茶を注ぐイメージでもあるなあ、ともぼんやり考えていたんだけど、後から調べてみれば正しい言い回しは「思い入れを傾ける」ではなくて「心を傾ける」だった。

たぶん、

(1)フィルターを通じて「読めるものにするということ」と「飲めるものにするということ」

(2)心を傾ける動作と急須を傾ける動作

(3)思いを入れるとお茶を淹れるということ

の三つを無意識に掛けていて、そのために慣用句の「心を傾ける」ではなくて「思い入れを傾ける」が思い浮かんできたんだろうと思う。

作品だったりキャラクターだったり特定の関係性への個人的な思い入れがあって、それを自分なりにかたちに落とし込んでいくということ。そういう意味で、二次創作は「思い入れを傾ける」ことだと思う。そしてそんな作品を読んで、ぽつぽつと浮かんでくる感想の断片を言葉に落とし込んでいく作業も。

友達への手紙を書き終えて、ああこれはある種の思い入れの応酬なんだなあと思ってとても充実した思いではあったんだけど、同時になんだか寂しい気持ちになったのも本当だった。

私もまた二次創作をする人間ではあるけど、私の書くものに思い入れを傾けてくれる人は今までもこれからもきっと現れないんだなあ、という予感がストンと下りてきたからだ。そしてその寂しさは何ら特別なものではなく、ありふれたつまらないワナビーそのものの感傷で、そんなことを口にしてもしなくても何も変わりはしないということがヒシヒシと身にしみた。もういい歳なんだなあと思いながら、そんないい歳になってもどこかで期待をしてしまっているんだなあと思った。

 

な、なんか辛気臭い導入になってしまった…。

 

第189話掲載のジャンプの発売された1月18日は雪が降って、電車はひどく遅延していた。地元駅でジャンプを一瞬立ち読みして電車になんとか乗り込んで、いつもよりずっと長い通勤時間の間、何も言葉が見つからなくて頭がぐるぐるしていた。本当に言葉が見つからなかった。天童くんについて考えて言葉に起こしても違和感しかなくて、自分が何に対して動揺しているのか、何がこんなに響いてしまったのか、掴み切れずに途方に暮れていた。

社会人としてちょっとアレだなあと思うんだけど、その後も仕事しながらデスクで涙ぐんでしまったり、電車乗りながら涙ぐんでしまったり、なんかやたらと感傷的になってしまっていた。

そんな中でぼんやりと自分がこうも揺さぶられてしまった理由、みたいなものに薄々と気づいていったんだけど、またそれが我ながらどうもつらくて余計に涙もろくなるという無限ループに…。

 

第189話で描かれていたのは、バレーという自分にとって大きな自己肯定感の与えてくれるものを手放していく天童くんの姿だった。

ハイキュー!!』という作品の中で、天童くんはバレーを止めることを最初に明言したキャラクターだ。けれどそのことは決して絶望としては描かれていない。自分がバレーを止めた後についてアッケラカンと語る天童くんの姿を通して提示されていたのは、バレーを続けることばかりが全てではないということ、この先の人生にはいくらでも選択肢があって、バレーを止めることも続けることもそのバリエーションの中のひとつでしかないということ、だったように思う。

烏野高校との試合を終えた後、自分がバレーを止めるということを導入に、天童くんはいかにも彼らしいドライな言葉選びで、若利くんの才能への信頼とこの先若利くんが進むだろう道への祝福を口にする。

それは道を退く者から進み続ける者への餞の言葉だ。そしてこの二人のやり取りに、私は古舘先生の影を感じざるをえなかった。

過去のインタビューの中で何度か明かされている通り、古舘先生が『ハイキュー!!』という作品を世に送り出すにあたっての一つの原動力となったのが、バレーへの強い執着だった。『ハイキュー!!』の多くの登場人物達と同じように、古舘先生もまた中高と部活動でのバレーに時間を費やしてきた過去がある。そして天童くんと同様、古舘先生は高校で一度バレーを止めている。

古舘先生はインタビュー(http://vbm.link/5437/)で、「高校当時はとにかくバレーが好きで、部活だけやりに学校へ行ってい」たということ、けれど良い結果を残せたわけではなく、「フツフツモヤモヤした感情が未だ燻っていた」ということ、そして「漫画という形でもう一度バレーをやりたくて、描き始め」たのが『ハイキュー!!』であることを語っている。古舘先生にとって、バレーという競技への思い入れを作品へと昇華したのが、『ハイキュー!!』という作品だった。

自分の個人的な思い入れを作品へと昇華させること。それは表現媒体に仮託して思い入れを語るということでもある。古舘先生はバレーへの思い入れを『ハイキュー!!』という作品を通じて語る。そしてこの語るということが、私にとって古舘先生と天童くんが繋がる一つの要素でもあった。

天童くんは、若利くんに関心を向け、面白がり、若利くん自身も気づいていなかったことを指摘する人物として描かれている。第155話、日向に対し「自分にしか興味無さげな若利くんが張り合って」いる様子を面白がり、「根拠の無い自身は嫌いだ」と語る若利くんを天童くんは珍しがる。第166話、日向につっかかるような言葉を向ける若利くんの様子に天童くんは目を止める。第176話では、天童くんが若利くんのバレーを始めたきっかけについて問う場面や若利くんの日向に向ける不快感について指摘する場面、若利くんのお手本のようなスパイクモーションを横目に「美しいねえ」という感想を口にする場面が描かれる。そして第189話、天童くんはテレビの中で活躍する若利くんを見ながら自慢する、と軽口を叩く。

この一連の描写に読み込んでしまうのは、天童くんは「語る側」であることに対して、若利くんは「語られる側」である、ということだ。第189話でのやり取りで、天童くんは自分がバレーを止めてなお、若利くんに関心を向け、語り続けるだろうことを口にする。若利くんがバレーを続けていくあらゆる選手たち、そしてバレーという競技そのものの象徴だとすれば、若利くんへ関心を向け、若利くんについて語る天童くんの姿は、『ハイキュー!!』という作品を表現媒体にしてバレーを語る古舘先生に通じるところがあるように思えた。

そしてまた、漫画好きであることが公式設定となっていることも、私が天童くんと古舘先生を重ねてしまう要素の一つだった。『ハイキュー!!』のコミックスには登場キャラクターのプロフィールが掲載されているが、その中での天童くんの「最近の悩み」は「周りの皆がジャンプを読まなくなってきたこと」になっている。プロフィールで漫画やジャンプについて触れているのは、今のところ天童くんが唯一のキャラクターだ。そしてまた、6月20日発売の週刊少年ジャンプ掲載の第210話で再登場した天童くんは、『ハイキュー!!』本編そのものにジャンプというメタな要素を作中に持ち込んでいる。言うまでもなく、本編中にジャンプや漫画という要素を明確に持ち込んだのは天童くんが初めてだ。

第189話を週刊少年ジャンプの誌面で最初に読んだ時、私から言葉を奪ったのは「語る側」でありながら「語られる側」でもある天童くんの存在だった。

第189話で描かれていたのは、この先の未来について、若利くんという存在へバレーを託していく天童くんの姿だ。競技バレーの選手として活躍する若利くんについてテレビ越しに見て語る自分の可能性を、天童くんはアッケラカンと口にする。若利くんとの間柄において、天童くんは今もこの先も確かに「語る側」だろう。けれど同時に、『ハイキュー!!』という作品をまなざす読者にとって、天童くんは紛れもなく「語られる側」でもある。

ハイキュー!!』という作品は、古舘先生がバレーという競技を自身が退き、その思い入れを漫画のかたちで語ることで世に送り出された。古舘先生は紛れもなく「語る側」だ。けれどその連載作品と、そこに登場するあらゆる魅力的なキャラクターたちは「語られる側」でもある。「語る側」が「語られる側」を創出するということ。その果てしなさに私は圧倒された。

2014年4月号の『ダ・ヴィンチ』Vol.240に掲載された「古舘春一 1万2000字インタビュー」で、古舘先生は『ハイキュー!!』という作品について、「マンガという形で、何とかもう一回、『負けたら終わり』のバレーをやりたかった」と語っている。

第189話、白鳥沢学園は烏野高校に敗北する。天童くんの高校の部活動としてのバレーはここで終わりを迎える。そしてまた試合後の若利くんのやり取りの中で、天童くんは高校でバレーそのものを止めることを口にする。天童くんの姿を通じて描かれているのは、確かに「負けたら終わり」のバレーそのもの、自身がコートに立つかたちでのバレーを手放すことそのものだ。

少年ジャンプの誌面。そこに描きこまれているのは、確かに「負けたら終わり」のバレーであり、高校でバレーを止める天童くんの姿だ。けれどその姿を描く『ハイキュー!!』という作品は、未だ夢の途中だ。古舘先生はこの『ハイキュー!!』という作品で、日本の少年誌の中でも一番の発行部数を誇る週刊少年ジャンプの誌面での連載を獲得している。それはかつて選手としてコートに立つことを止めた古舘先生の夢であり、実現されたかがやかしい現実そのものだ。

 

第189話、そこに私は表現における勝者としての古舘先生の存在を強く感じたのだと思う。そしてそんな古舘先生の姿を天童くんに重ねた。バレーを止めた後に約束されている天童くんのかがやかしい未来を予感した。

古舘先生がバレーという競技、バレーという競技の第一線に立ち続ける選手たちへ向けるまなざしと、私が『ハイキュー!!』という作品、『ハイキュー!!』という作品を産み出した古舘先生とその分身にも思える天童くんへ向けるまなざし。その二つを勝手に重ねてしまっていた。そうすることは自分のどうしようもなさが浮き彫りになることでもあった。私がいかに表現者として身を立ててみたかったのか、誰かに認められることに未練があるのか、しかし現実問題として何の力もなく何者でもないのか。その事実がヒシヒシと身にしみた。こんなところで思い知らされるとは思ってもみなかった。

引導を渡された思いというか、本当にそんな感じだった。自分がなんだかんだ蓋をして、楽観的に先延ばしにしてきた問題をこじあけて剥き出しにされた思いだった。自分が思っていた以上に私は何者かになりたかったのだと、そしてそれが身の程知らずの妄想だったのだと思い知った。

それにたぶん、そのことが自分にとって特別に響いたのはタイミングもあったんだろうと思う。第189話掲載の週刊少年ジャンプが発売されたのは1月18日。『ハイキュー!!オンリーイベントを来週に控えていた。

そのオンリーイベントでお渡しするために、12月の中旬から結構な時間をかけて、感想のお手紙を書いていた。全く顔見知りではない方なのだけど、作品を読んでどうしても感想のお手紙が書きたくなってしまったからだ。

付箋を貼って、台詞や断片的な感想のひとつひとつを書き出す。そうして手紙にすることを取捨選択しながら完成させて、頭から読み直しては修正して、そんなふうに試行錯誤していた。できる限り喜んでもらえる内容になればいいと思ってインターネットで手紙の書き方を調べたり、読みやすい文章の書き方の指南本も読んでみたりしてみた。その時間はなんだか充実していたような気がする。

でも一方で、感想をもらえる人とそうでない人、の違いを考えさせられてしまったのも本当だった。私もまた二次創作をする人間ではあるけれど、人からまとまった感想をもらえることはほとんどない。もらえたとして、限られた一人か二人かの友達くらいか。それも本当に稀かもしれない。

思い入れのないものについて語ることの難しさはよくわかっているし、人が思い入れのあるものについて語る時の饒舌さも同時によく知っていた。自分の考えたこと、自分の作り出したものについて反応をもらえないのは寂しいことではあるけれど、それも道理だと思った。思い入れのないものについて語ることは難しいからだ。それに大抵のひとは思い入れの無いものに対してわざわざ時間を割くほど暇でもない。

手紙を書きながら気持ちが沈んでもいたのはそんな理由だった。要するに打ちのめされるほどにすばらしいその作品の作り手が自分ではないということ、に勝手にセンチメンタルになってしまっていたわけだった。第189話を読んだのはそんなタイミングだった。

 

芸術と学問すなわちリベラル・アーツを司るパルテノン神殿の九人のムーサについてはよく知られている。実は通訳業の守護神は、その一〇人目の姉妹。自由業のはしくれ。(中略)

おまけに他の九人のムーサがゼウス(最高神)とムネモシュネ(記憶)のあいだに生まれた娘であったのに、通訳の女神の父親はヘルメスらしい。ゼウスに神々の人間に対する使者に任命された紙。要するに仲介者。他の九人の女神たちが司る学者や芸術家が思いっきり自分の個性を押し出すのに対して、あくまでも話し手と聞き手という二人の御主人を立てて、自己を極力押し殺さねばならない通訳稼業を暗示しているようだ。(米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』「理想は透明人間」、文藝春秋、2003年、p.93)

 

しかし、何が苦しいって、話し手の口となり、聞き手の耳となって、自分というものを押し殺していかなくてはならないこと。本来自分の思想や自分の感情を整理したり伝えたりするためにあるはずの言語駆使能力を一時的ではあるものの、他人様に従属させなくてはならない。(米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』「戦場か喜劇の舞台か」、文藝春秋、2003年、p.106)

 

ちょうどその頃読み続けていたのが、米原万里さんの随筆だった。

上記の引用の中で、通訳をするということの苦しさについて米原さんは語る。通訳とは「話し手と聞き手という二人の御主人を立て」ることであり、「本来自分の思想や自分の感情を整理したり伝えたりするためにあるはずの言語駆使能力を一時的ではあるものの、他人様に従属させ」ることであると。

私自身は外国語に全く長けてはいないし、それゆえに通訳をすることの苦しさはわからない。けれど、「本来自分の思想や自分の感情を整理したり伝えたりするためにあるはずの言語駆使能力を一時的ではあるものの、他人様に従属させ」ること、「二人の御主人を立て」ることの苦しみはぼんやりと想像できる気もした。

最中はそれほど明確に意識していたわけではないけれど、私にとって感想の手紙を書くということは、作品と作り手という「二人の御主人を立て」ることでもあった。作品に描かれていることを汲み取り、手紙を受け取る作り手にとって喜ばしいものとなることを目指して心を砕くということ。感想の手紙を書くというのは、感じたことをそのままのかたちで文章に書き起こすだけのことではなかった。実際のところは、好き勝手に散らばっている自分の思い入れを、人の目に耐えるかたちに整えていく作業が必要だった。そのための作業が、まさに「本来自分の思想や自分の感情を整理したり伝えたりするためにあるはずの言語駆使能力を一時的ではあるものの、他人様に従属させ」るように感じたのも本当だった。

そしてそのようにして時間をかけ、心を砕いた手紙を受け取るのが自分ではないことに苦しさを感じていたのだろうとも思う。

 

かなわない

かなわない

 

 

米原さんの著作を読んでいたのと同じ時期にたまたま手に取ったのが植本さんの『かなわない』だった。日々の生活を記録したこの本には、著者である植本さんの子育てを巡る苦しみやままならなさが描きこまれている。本の終盤、植本さんはふとしたきっかけで、好きな漫画の作者である安田弘之さんとメールのやり取りをするようになる。

 

子どもの世話がつらいのはちゃんと理由があるんですよ。嫉妬なんです。あなたが子どもの頃一人ぼっちでさみしい思いをしていたのに、自分の子どもはちゃんとかまってもらえている。(中略)だからあなたは子どもを可愛がってあげたいのに可愛がるほど辛くなるんです。お前はいいよな~!って。(植本一子『かなわない』、タバブックス、2016年、p.230)

 

引用した文章は、植本さんが安田さんから指摘された内容だ。植本さんの子育てをめぐる苦しみは、自分の子どもへの嫉妬にも理由があるのだと安田さんは言う。植本さん自身の中の、植本さん自身としての「子ども」が、自分から愛情を向けられている実際の子どもに嫉妬をするのだと。

この文章を見た時、私は変に納得をしてしまった。ああそうか私はずっと似たようなところでぐるぐるしていたんだな、と思った。

思い出したのは大学の卒業論文のことだった。

もう四年近くも前になってしまうけど、文学部で近現代文学を専攻していた私は、「母」と「娘」というテーマで大学の卒業論文を書いた。「母」と「娘」というテーマを、戦後から現代にかけて発表されたいくつかの作品を取り上げて論じたのが私の卒業論文だった。要約すると、誰かの「母」となることを拒否し、いつまでも「母」を求める「娘」について、といった内容だった。

出発点としたのは江藤淳『成熟と喪失』(河出書房新社、1967)だった。『成熟と喪失』は第三の新人の作品を取り上げ、それらを「父」「母」「子」、そして敗戦という観点から読み解いた文芸批評だ。『成熟と喪失』において、主軸となるのは「子」=「息子」の物語だ。「娘」については、「息子」の「母」となることを拒絶する物語についてしか触れられてはいない。『成熟と喪失』で、「娘」は自分に「母」を求めない存在を求めて「息子」のもとを離れていくと位置づけられている。

この『成熟と喪失』の「娘」像を前提に、私は「娘」のままであり続けるために「母」を求める「娘」の物語について考えたかった。それが私の卒業論文のテーマだった。

自分が成熟を望まないまま、誰かの「母」となるということ。『成熟と喪失』を初めて読んだ時、そのことが私の中でとても引っかかっていた。自分を庇護し守ってくれる者としての「母」を求めながらも、自分がそうした存在となることを望まれることへの違和感。その問題について考えたくて、私は卒業論文を書いた。

自分自身が誰かにして欲しいと望むことを、誰かにすることへの違和感や苦しさ。植本さんの文章を読んで腑に落ちたのは、そのことが今も昔も私の関心ポイントなのだなあ、ということだった。かつてはそれを「母」と「娘」というテーマの中に見て、今現在は何かを表現するということの中に見ているわけだった。

 

社会人になって新しく発見しては反省したり、考え方も変わったりしたつもりではあったけど、根っこの部分で関心のあるものが同じであることを発見していく過程はなんかちょっと面白かった。そして全く関係の無いいろいろな通過点みたいなものが、天童くんを中心にまとまっていくのはさながら激動っぽくもあって。

センチメンタルな内容になってしまったけど、モヤモヤしていたことだったのでこうして書き出すことができてとてもスッキリした。

文章にして吐き出すことはだいじ。

 

 

 

 

以上、ビックリするほど感傷的な日記でした(2016年12月17日記)

要約すると「感想がもらえるようなものを作れる人がうらやましい、私はそうはなれなかった、天童くんについて考えているとそのことを実感してしまう」って感じなんだろうか。

今この文章を書いてるのは12月だけど、ふと下書きを見返してみたらこの文章が残ってて、半年近く経って「あ~こんなこと考えてたんだ」って思って面白かった。ホントにいろいろと忘れてしまうものだなあ。

同じ7月の末には4月に書いた天童くんについての覚書がいろんな方に読んでもらえることになって、直接ではないけれどいろいろと有り難い言葉をもらえもしたんだった。そのことにすごく救われたし嬉しくもなったし、自分の考えてることを文章にするのは楽しいよな、細々と続けていきたいな、と思いもして。

自分の考えてること、こうやって書き残しておくと思いもかけず後から面白がれたりするから残せる限り残したいな、って思いました。

 

ガセネッタ&(と)シモネッタ (文春文庫)

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成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

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