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天童くんと原動力

ヴィトゲンシュタインは名著『理論哲学論考』の中で「(哲学は)語りえぬものについては沈黙しなければならない」と著しています。しかし幸いなことは、ヴィトゲンシュタイン哲学とは対照的に、「語りえぬもの」に対峙し「語ってみせよう」という姿勢を貫いているのが「科学」です。それは決して自信過剰な自惚れなどではなく、未知なるものに対して自然と湧きあがる衝動と憧憬なのです。本能的な好奇心や探求心、つまり、ユングがいう意味での根源的な「リビドー」こそが、科学を駆動する原動力であるといってもよいでしょう。(池谷裕二『記憶力を強くする-最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方』講談社、2001年、pp.121-122)

 

米原万里さんの『打ちのめされるようなすごい本』を読んでいて、本文中で紹介されていた中の一冊が『記憶力を強くする-最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方』だった。 

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 (ブルーバックス)
 

十五年も前の本だから、今はきっともっと新しい研究が出ているんだろうけど、それでも私にとっては充分すぎるほどに知らないことだらけで、すごく面白く読んでしまった。

その中でも、上で引用した文章が大変に天童くんを感じさせて思わず付箋を貼ってしまった。

 

以下本の感想でもなんでもなく天童くんみを感じたポイント解説です。

 

(1)「語りえぬもの」に対峙し「語ってみせよう」という姿勢を貫いているのが「科学」

この部分に、私は天童くんと若利くんのやりとりを思い出す。コミックス第20巻に収録されている第176話、リベロの上げたトスへ向かって、残りの全員が入ってくる烏野の攻撃スタイルに感心したような若利くんに、天童くんは指摘する。無茶に見える烏野のその攻撃には感心するのに、日向は嫌なのかと。若利くんが日向を嫌だと思うのは、得体が知れないから、よくわからないものは「なんかヤだなー」と思うからなのではないかと。

天童くんは、若利くん自身の中ではまだ名状できない段階に留まっていることを、見つめ、言葉にし、目のまえに差し出す。これはまさに、「語りえぬもの」に対峙し、「語ってみせよう」とする態度そのものだ。

また、コミックス未収録の第189話、バレーを辞めることを明言する天童くんは、若利くんに言う。活躍している若利くんをテレビで見ながら「俺は牛島のマブダチだった」って自慢するからちゃんとがんばってね、と口にしてみせる。天童くんはバレーを辞め、若利くんはこの先も続けていく。この二人のやりとりで提示された、テレビの中の若利くんについて語る天童くんは「語り手」そのものでもある。

そして、天童くんは作者という『ハイキュー!!』という作品そのものの「語り手」、古舘先生との結びつきの強さを感じさせるキャラクターでもある。

古舘先生はインタビュー(http://vbm.link/5437/)において、なぜ男子バレーボールを取り上げようとしたのかという問いに、次のように答えている。

 

中学、高校時代にバレーボール部に所属していて、その時の未練がずっと強く残っていたので、バレーボールを描くことは、漫画家を目指すと同時にあった目標でした。高校当時はとにかくバレーが好きで、部活だけやりに学校へ行っていましたが、良い成績を残したわけでもないですし、色々と、フツフツモヤモヤした感情が未だ燻っていたので、漫画という形でもう一度バレーをやりたくて、描き始めました。

 

古舘先生は、高校でコートに立つことに区切りをつけた。そうして一度区切りをつけたバレーへの執着が『ハイキュー!!』という作品へ繋がっていったということは、インタビューで語られている通りである。

天童くんは『ハイキュー!!』において、高校でバレーを辞めることを初めて明言したキャラクターだ。また、天童くんは漫画好きであり(https://twitter.com/haikyu_com/status/705988722790047744?lang=ja)、プロフィールの中での最近の悩みは「周りの皆がジャンプを読まなくなってきたこと」。漫画好きであることを表明し、プロフィールで漫画について触れている唯一のキャラクターが天童くんでもある。

何かを題材に作品を創り出すということは、対象に対峙し、語るために試行錯誤するということだ。『ハイキュー!!』は、バレーという題材に取り組み、物語を創り上げていくことに真摯に対峙した作品だ。そうした作品性と天童くんのキャラクター造形は、どこか近しいものを感じさせる。

(ただ、取り上げた後の文で「それは決して自信過剰な自惚れなどではなく、未知なるものに対して自然と湧きあがる衝動と憧憬」と続いていて、バレーは古舘先生にとっては「未知なるもの」ではないので、そこまできれいに当てはまるかと言われればそうではない気はする。とはいえ、より「語ろう」とする態度を選択し続けるという点で、取り上げた文と天童くん、古舘先生、そして『ハイキュー!!』という作品自体は繋がる部分があると思っている)

 

(2)本能的な好奇心や探求心、つまり、ユングがいう意味での根源的な「リビドー」こそが、科学を駆動する原動力

第189話、試合を振り返り、天童くんは若利くんについて最後ムキになっただろう、と指摘する。いつもであれば立て直すか他に任せるところで、若利くんは自分へトスを上げさせ、自ら烏野のコートへスパイクを叩き込んだ。その行動への指摘だった。対して若利くんは言外にそれを肯定する。自分が日向より強いということを言いたかったと、それゆえの行動だったと語る。その行動を指して、幼稚だろうかと問う若利くんに、天童くんは人の原動力は大概幼稚なものだと返す。

そう返してみせる天童くんの原動力を考えた時、思い出されてくるのが第178話だ。第178話では、攻撃を叩き落とした相手の、自分を見上げる表情を眺め喜びを覚える小学校時代の天童くんの姿が描かれている。そして同じ第178話、成長した天童くんは白鳥沢の鷲匠監督を前に「俺は俺が自分の気持ち良いバレーがやりたい」と口にする。

天童くんがバレーを続ける原動力となってきたのが、攻撃を自分自身が「叩き落とす」ことへの執着であり快感だ。自分自身の力を発揮し、自分自身で相手をねじ伏せるということ。その快感こそが天童くんの原動力だった。

若利くんと天童くんの原動力で共通しているのは、自らの力を発揮し、その強さを相手に示すという点だ。『ハイキュー!!』という作品の中で、これは多くのキャラクターにとってバレーをする原動力となる部分なのだろう。*1 そしてその中でも、自分の好きなやり方へのこだわりがより強く描きこまれていたのが天童くんなのかもしれない。

 

俺は怪談が大好きなんだよ 好奇心や好きであること それ以上に人の原動力になるものがあるか?

 

『詭弁学派、四谷先輩の怪談』第15話、怪談にこだわることについて尋ねられた四谷先輩はこう語る。

ハイキュー!!』の中で、「原動力」という言葉が登場している回はいくつかあるものの(私が今調べた限りでは第88話のツッキーの言葉、タイトルだけではあるものの第101話の「後悔と原動力」)、過去作品でこの言葉が登場しているのは上で引用した部分だけだ。

天童くんにとって、自分の好きなバレーをすることこそ何よりの原動力だった。四谷先輩の語る原動力と、天童くんのそれにはどこか繋がりを感じさせる。

また、『詭弁学派、四谷先輩の怪談』には、古舘先生の作品に通底する作家性とも言うべきものがとてもよく反映されている。古舘先生の過去作品には、表現すること、物語を創り出すことについての視点が強く織り込まれている。*2 引用した四谷先輩の言葉を、表現すること、物語を創り出すことへ敷衍するとすれば、古舘先生にとって漫画という形で自分の好きなバレーをすることこそ、この『ハイキュー!!』という作品を描いていく原動力なのだろう。

古舘先生にとって漫画という形で自分の好きなバレーをするのが『ハイキュー!!』という作品ならば、その姿勢が象徴的に描かれているのが第189話の天童くんと若利くんのやりとりだと私は思っている。第189話で提示されているのは、テレビの中で活躍する若利くんを見ながら自慢する、と軽口を叩く天童くんの姿だ。テレビの中、活躍をし続ける若利くんは、バレーという競技それ自体、そしてバレーを続けていくあらゆる選手たちの象徴だろう。そしてその姿について語る天童くんは、『ハイキュー!!』という作品を描く古舘先生の姿と重なる。

第189話に至るまでも、天童くんが若利くんへ関心を向け、語る描写は積み重ねられてきた。第155話、日向に対し「自分にしか興味無さげな若利くんが張り合って」いる様子を面白がり、「根拠の無い自身は嫌いだ」と語る若利くんを天童くんは珍しがる。第166話、日向につっかかるような言葉を向ける若利くんの様子に天童くんは目を止める。第176話では、天童くんは若利くんがバレーを始めたきっかけについて問う場面と、若利くんが日向を嫌だと思うのは、得体が知れないから、よくわからないものは「なんかヤだなー」と思うからなのではないかと指摘する場面が描かれる。そしてまた第176話では、天童くんは若利くんのお手本のようなスパイクモーションを横目に「美しいねえ」という感想を口にしている。

若利くんがバレーという競技それ自体、そしてバレーを続けていくあらゆる選手たちの象徴だとすれば、若利くんへ関心を向け、若利くんについて語る天童くんの姿は、『ハイキュー!!』という作品を通じてバレーを語る古舘先生に通じるところがあるだろう。「本能的な好奇心や探求心、つまり、ユングがいう意味での根源的な「リビドー」こそが、科学を駆動する原動力」ならば、バレーへの好奇心や探求心こそ、古舘先生にとって『ハイキュー!!』という作品を描く原動力と言うことができるのかもしれない。

 

 

書き起こしてみると、いかに自分が天童くんを若利くんとの関係を通じて捉えているか、天童くんと古舘先生を繋げて考えているかが予想以上に前面に出ていてなんだかおもしろいなあ、と思った。あと頭の中で考えてる段階では気づかなかったけれど、驚くほどに都合よく捨象したり拡大したりしてるもので、まとめようとするとどうも意味の通じない飛躍をしてしまっているというか…。

考えたことを言葉にすることはサボらないとどんどん下手になっていく気もするし、練習も兼ねてこれからもバンバンやっていこうと思った。正直この長さの文章で、ろくにまとまってもいないのになんかめちゃくちゃエネルギー使ってしまった。

 

とりあえず結論としては理系の天童くんを推したい。

 

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)

 
ハイキュー!! 21 (ジャンプコミックス)

ハイキュー!! 21 (ジャンプコミックス)

 

*1:第89話、梟谷高校の木兎さんがバレーにハマる瞬間について「目の前の奴ブッ潰すことと自分の力が120%発揮された時の快感が全て」と語る場面があるように。

*2:物語の主人公が作者自身の命を救う『王様キッド』。物語の主人公とその作者が共闘する『アソビバ』。そして怪談を創ること、語ることをめぐった『詭弁学派、四谷先輩の怪談』。