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アニメ『ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校』 第10話雑感

 試合最後、烏野のスパイカー×5人での攻撃のカメラワークが本当にすごかった。

作画どうやってやっていくんだろう。制作過程気になるなあ。

試合終了後、「負けるなんて思わないじゃないですか」って言う白布の横顔も呆然とした言い方もすごかった…実感が遅れて追いかけてくる感じ、感情がみるみる飽和していく感じ、その表現がとても的確ですばらしかった。

あと居酒屋おすわりの場面の烏養さんがすごく烏養さんだった…。

 

白鳥沢の引き継ぎの場面が見たかった気持ちはすごくあるし、正直「ここで終わるのかーーーーい?!」って終わり方でもあったもので第10話を最初見たときはちょっと唖然としてしまった。

尺が足りないのはわかってたけど、予想以上にバッサリ切られてしまったのは辛かった。白鳥沢という高校を描ける貴重な時間を4期の前振りに使ってしまってる印象は否めなかったというか…(4期が本当に放送決定したらめちゃくちゃ嬉しいしとても楽しみではあるけど)。

とはいえ第10話の天童くん本当にすばらしくて、こうしてアニメの天童くんを見ることのできたこの2ヶ月はすごく充実してたな、って思った。かけがえのない2ヶ月間だった。

 

 

天童くんは本当にかわいい。

試合終了後、ネット越しに握手するとき天童くんが真ん中に抜かれていたのが印象的だった。これってアニオリの描写なのかな、って思ったら小さいコマだしアングル全然違うけど原作にもあるんだね。

天童くんにとってこれが最後だから、って制作の方々がスポットライトを当ててくれた感じもしてなんだか勝手にじーんとしてしまった。

そして試合終了後の一連の場面を見ながら、泣かない若利くんが好きだし泣かない天童くんが好きだな、って改めて思った。

自分のなかですごく好きな台詞だったり描写だったりが続くからこそ、試合終了後の場面がコマの消化試合みたいになってたら嫌だなあ、と思っていた。特定の場面に割ける時間も労力も無限ではないだろうことはわかってもいたし。

「さらば俺の楽園」は原作の異質さのある天童くんの横顔がすごく印象的だったから最初見たときは若干悲しくなってしまったけど(たぶん私のなかで一番作画に力を入れてほしい天童くんの場面だったんだろうと思う)、その一方で若利くんとのストレッチの場面がすごくすごくよかった。

茶化すみたいに、何も預けないみたいに天童くんは若利くんの才能への信頼を言葉にして手渡す。この場面の天童くんはアクがなくてすごく優しい声をしていて、こんなふうに天童くんを演じてくれた木村さんが本当にすばらしい。天童くんのそういう穏やかで優しい一面を私は原作のこの場面に感じていた。だからとても嬉しかった。

アニメで見て改めて思ったけど、私はやっぱりストレッチの場面の天童くんがいちばん好きなのかもしれない。

台詞としては「自慢するから『さ』、ちゃんとがんばって『よ』ね」 になってたけど、自分のなかで木村さんのCVで検討した結果この言い方が間違いなくこのアニメの流れには合ってるんだろうな、って思った。

あと昔の仲間枠で取材オッケーだからね、って言った後、原作だと起き上がる若利くんを何事もなかったような表情で「?」って見上げてるコマだけだったけど(私はこのアッケラカンとした感じがすごく好きだった。なんだかすごく乾いていて、感傷っぽさが無くて)、アニメだと何も言わないで天井を見ている天童くんのカットが入ってて、その表情がとても静かで端整でアニオリすごくありがとう…って思った。

原作には描かれていないし原作を読んだときに個人的に感じていた天童くん像とはまた違うけれど、もしかしたら天童くんはこんな表情をしていたのかもしれないなって思った。そういうひとつの可能性を見た感じ、と言ったらそうなのかもしれない。

 

話は少し変わってしまうけど、『ユーリ!!! on ICE』の第11滑走を見ていて、なんだか勝手に腑に落ちたことがあった。

『ユーリ!!! on ICE』という作品のどこに私が惹かれてしまうのか、ってことを考えると、たぶんそれは「終わりを見据えて力を尽くす、そしてまた挑戦を選び、自分にとって特別なもの、価値あるものですら時に手放す決断をして前に進んでいく」という物語なのかもしれないと思う。

そしてその物語はきっと『ハイキュー!!』という作品に通底するそれともどこか通じていて、だからこそ私は第11滑走を見ながらダ・ヴィンチのインタビューの古舘先生の言葉を思い出していたんだろうと思う。古舘先生にとって「ジャンプでバレーを描けるのは、これが最初で最後」であるように、ユーリを製作している方々にとっても、アニメでフィギュアスケートを描けるのはこれが最初で最後になるのかもしれないからだ。

ハイキュー!!』の原作第185話で及川さんが言うように、「烏野には『守るべきスタイル』なんて無い」、だからこそ「新しい事に手を伸ばすことに躊躇が無い」。日向と影山の神業速攻ですら、烏野はすぐに捨てて新しくしてきた。

思い入れやこだわりは時に足枷にもなる。自分にとって思い入れのあるバレーを手放すことは、きっと天童くんがこの先を生きていく上でのひとつの挑戦なんだろうと私は思う。その選択の根底にあるのは、確かに自分の一番好きなバレーを続けていくことに対する諦めなのかもしれない。けれど、天童くんがバレーを止めるという選択それ自体には、天童くん自身のこの先の人生にとって間違いなく意味があるのだと思う。だって天童くんはまだ18歳で、この先を歩んでいく選択肢はいくらでもあるのだから。

「終わりを見据えて力を尽くす、そしてまた挑戦を選び、自分にとって特別なもの、価値あるものですら時に手放す決断をして前に進んでいく」。

私は『ハイキュー!!』という作品それ自体、天童くんというキャラクターそのものにどうしても古舘先生ご自身の姿を重ねてしまうから(「グランド・フィナーレhttp://tsubametobu.hatenablog.com/entry/2016/04/24/142744)、アニメの最終回に寄せた古舘先生のイラストに登場したのが日向と天童くんであったことになんだか勝手に納得もしてしまった。この二人でないと、とまでは思っていなかったけれど、この二人だよなあ、と内心変にニコニコしてしまったというか。

 

アニメ『ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校』を追っていたこの2ヶ月間、すごく充実していて、とても幸せでした。

本当にすばらしい時間をありがとうございました。

アニメ『ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校』 第8話・第9話雑感

毎度ながらお顔の作画がすごくよいよなあ(個人的なお顔の作画の完成度MVPは、大地さんがいなければ烏野の守備はもっと穴だらけなのに、って独白してるところの大平さんのお顔だった)。

第9話のチョーダイって言ってからの若利くんのバックアタックを振り返る天童くんの目の表面張力感もすごくよかったし、ツッキーの囮を受けてハッタリって判断して逆サイドへ移動する天童くんの目の動きもすごかった。

あと第9話の休憩場面、若利くんのあのどこか幼い感じも大きめタオルでグイグイ汗拭ってる天童くんの感じも好き。

天童くんから離れたところだと、第9話のつとむのフライングのところも好きだし、その直後の三連続若利くんのところの作画もすごい。あとノヤさんが連続で拾って上げて旭さんが打って得点の流れほんとに好き。『ユーリ!!! on ICE』もそうだけど、身体の動きがメインになってくる場面の作画がイチバン難しそう。

そして天童くんの得点にパチパチ拍手してる若利くん何度見ても超かわいい…。

以下は声についての部分。

第9話、英太くんのサーブについて「ノータッチエース!」って天童くんが言うときの抑揚がエェー↑スってなってないのがほんとすごくイイネだった…あと「セッターに取らせやがった」「飛びつけ」「悟ったりー!」「行け若利くん」のところもすごく好き。

天童くんの声について、やっぱり私は抑揚のあまりない物言いにイイネしてしまう傾向があるみたい。でも天童くんって喧しさと静かさの振り子運動的なところがあっての子でもあるから今の配分が間違いなく正解なんだよなあ、と毎度ながら思う。

天童くんの声、この第8話・第9話を見てて思ったのは、意図的な抑揚を意図的に削ぎ落としていっている印象があるなあ、ということだった。

天童くん自身にとって抑揚は意図的だからこそ、疲労の蓄積していく試合の終盤に行くに従って本来の平板なもの言いに近づいていく。そしてそうした天童くんの性質を踏まえた上で、最後のさらば俺の楽園の静かさに調整していく、みたいな木村さんの意図を勝手に感じていた。

話は少し変わってしまうけど、先週号のジャンプの白鳥沢のキャストの対談がとても面白かった。特に木村さんの「『天童嫌だな』と思ってもらえたらいいな、引っかき回せたらいいなと思って自由に思いっきりやらせていただきました」という言葉にはとてもハッとさせられてしまった。

たぶんそれは、推しだけどどこか不快、モヤモヤする、っていうのが私にとっての天童くんでもあって、少なくとも私にとってはアニメの天童くんはまさにそういう天童くんでもあったから、なんだろうと思う。

とはいえアニメの天童くんは私が想定してた以上にその「どこか不快、モヤモヤする」という度合いが強くて、だからこそどうも直視できない部分もある(少なくとも毎話3回は見てるけど)。でも一方で、その不快さ、モヤモヤ感は天童くんを演じる上でゼッタイに削っちゃいけない要素だったんだなとも思う。

アニメの動いてしゃべる天童くんは木村さんという実際の男性の声ありきのキャラクターで、それがどうもモヤモヤの主因になってる瞬間がすごく多い。でもそれこそが天童くんというキャラクターが立体的に立ち上がってくる瞬間なのかもしれない。

私は天童くんをすごくかわいいと思っているし天童くんに幸せでいてほしいと思っているけど、かわいいに全部回収されてしまう天童くんは天童くんであって天童くんではないのかもしれない。かわいいに回収される天童くんは私が頭の中で馴致した天童くんであって、かわいいに回収しきれない、ともすると不快さやモヤモヤ感を伴うアニメの天童くんこそがより天童くんなのでは? という結論になるんだろうか。

 

「かわいい」は美しいではない。美とは神聖で近寄りがたく、整然とした印象のもとにある何物かである。「かわいい」は親しみやすく、破綻や欠損を平気で受け入れ、つねに活動的で表情を変えてゆく。それは小さく、未成熟で、どこか懐かしく、そして人を無防備にさせる。「かわいい」には「美しい」と違って、その場の雰囲気に緊張をもたらすことがない。

ある意味で「かわいい」には醜さ、グロテスクと隣り合わせであるところがある。熊のヌイグルミも、E・Tも、7人の小人も、もし目の前に実際に現れたら、気味が悪いだろう。彼らが「かわいい」と呼ばれるのは、映像という隔たりがあってのことなのだ。気持ち悪いがかわいいという意味で「きもかわ」という言葉があることを、わたしの学生たちは教えてくれた。人間はなぜ不気味なものを避けようとして、それから目を離すことができなくなってしまうのだろうか。「かわいい」について突き詰めて考えてゆくと、フロイト精神分析が立てたこの有名な問いの前に呼び出されてしまう。(四方田犬彦『驢馬とスープ』ポプラ社、2007年、p.168)

 

原作の24巻、天童くんの再登場回を読みながら思い出した文章。

24巻読んでいて今更のように思ったけど、天童くんて部分的には理性的で大人だけどまた別の部分ではとても子どもなんだよなあ。

あと烏野10番ハッケーン!!!からの叩き落としたらァァァ見てて、天童くんのかわいさってこの187.7cmとしての自覚のなさにも起因してるのでは…とも思った。

天童くんのかわいさはそういうアンバランスさからきてるのかもしれない。

 

天童くん以外のところだと、「これだけ打ちづらい条件揃っても止まらねえのかよ」の旭さんの言い方も好きだし、たんじくんの「妬ましく忌々しく強烈に憧れる」も本当にすごかった。あと優秀なエースは存在自体が優秀な囮からの「行け太一!」の白布の声すごい好きだし、リエーフの少年ぽさのある声もとてもよかった。

最後になったけど、田中さんの演じる烏養さんがすごく好きだったなあと思った。田中さんの演じる烏養さん、もっと見ていたかった。

 

驢馬とスープ―papers2005‐2007

驢馬とスープ―papers2005‐2007

 

アニメ『ユーリ!!! on ICE』雑感 その2

第7滑走が本当にすごく好きで、思わずまた感想をまとめたくなってしまった。

現時点で放送されているのは第8滑走まで。第8滑走のJJのテンションもすんごい好きなんだけど、第7滑走が私はいちばん好き。

 

ヴィクトルが推しでポポさんの応援サポーターでピチットくんのファンだなあ、というのが第7滑走を見ての実感だった。

FS前、プレッシャーに押しつぶされそうになる勇利に、あえて突き放すようなことを言うヴィクトル。この場面に感じたのは、ヴィクトルの選手として圧倒的な強さを支えてきただろう切り替えの早さと実行力だった。ヴィクトルは執着をしない。進化の可能性があれば、今手にしているものも捨てて新しい選択肢を実行する。それがヴィクトルという人なんだろうと私は思う。

勇利という他者に、自分の行動原理をぶつけるということ。ヴィクトルが取った行動は、勇利の不安な感情に寄り添うものではない。けれどだからこそ、結果的には勇利の気持ちが切り替わることに繋がっていった。*1

勇利のペースに合わせるばかりが勇利のためになるわけではない。なぜなら、同じところでグルグルしてるばかりでは何も変わらないからだ。そしてどんな不調の時ですら、挑んだ以上勝負の瞬間は訪れる。悠長に不安に押しつぶされてはいられない。自分を信じて力を発揮していかなければ、決して勝利は訪れない。

そしてこの第7滑走のなかでヴィクトルと対比されているのが、同じロシア出身の選手であるポポーヴィッチ(以下ポポさん)だ。

突き放すような発言を受けて涙が溢れ出す勇利に、困惑したヴィクトルは「泣かれるのは苦手なんだ。こんな時どうしたらいいかわからない。キスでもすればいいのかな?」と言う。

ヴィクトルはきっとこれまでも相手を泣かせる側で、その上去る者を追わないタイプなんだろう。この台詞は、ヴィクトルの他人への執着の薄さを感じさせる。

そんな他人への執着の薄いヴィクトルと対置されているのがポポさんだ。ポポさんは別れた恋人であるアーニャへの執着を、作品に昇華させることで今期の舞台に挑んでいる。実際、ヴィクトルとポポさんの二人をコーチしてきたヤコフは、ポポさんのプログラムについて「ヴィクトルに無いものを求め形にしてきたプログラム」であると独白する。

他人に執着をせず、コーチの言うことを聞かないヴィクトル。対して、他人に執着し、誰よりもコーチの言うことを聞いてきたポポさん。

ポポさんのパートは、どこかおかしみをもって描かれてもいる。本人はアーニャへの思い入れ、さらにはアーニャとの復縁の願いを込めて作品を作り上げた。けれどポポさんにとっては切実で美しいその感傷も、画面に表れてくるイメージとしては拭いがたくおかしみを伴っている。さらに、「これからは私の時代だ」と結ぶ自信に満ちた表情ですら、続く勇利の見せ場への前振りとしてどこか喜劇的に回収されていってしまう。

公式HPのプロフィールにある通り、ポポさんは「自分の芸術的感性に絶対的な自信を持っている」キャラクターでもある。ポポさんは、自分の内面に入り込むことで成果を上げられるタイプなのだろう。それは見る人によってはおかしみを見出されてしまうのかもしれない。けれど、自分の内面に入り込み、自分の感性に自信を持つことでしか追及できない表現というものは存在する。少なくともポポさんの今期の演技は、自分の感情に入り込むことでしか完成できなかっただろうと思う。そのようにしてポポさんは選手として氷上に立ち、結果を残した。そのこと自体は間違いなく賞賛されるべき事実だ。

そしてそんなポポさんの描写を受けて続くのが、勇利のFSだ。

演技のさなか、泣いたことで却って気持ちの安定した勇利は「僕が急に泣き出したときのヴィクトルの顔、おもしろかったなあ」と述懐する。

自分の感情に入り込むことで力を発揮したのがポポさんだとしたら、試合前のプレッシャーに押しつぶされそうになっている勇利はその真逆と言っていいだろう。勇利にとって必要だったのは、自分の感情から距離を取ることだ。自分とヴィクトルの置かれた状況を客観視し、おかしみを見出すということ。それはプレッシャーに押しつぶされそうになっている自分から距離を取ることに繋がる。

当事者にとってはどんなに切実であっても、引いて見ればおかしみを見出だされてしまうことはどうしたってあって、それはときに残酷でもあるけれど救いでもある。ポポさんのエピソードにおいてはある種の残酷さとして描かれていたおかしみは、勇利のエピソードにおいては救いとしても機能している。*2

 

あとクリスの「俺の好きなスケートを滑れるのは俺だけだ」って独白とピチットくんの「タイ人の僕がグランプリシリーズで四回転を決めるだなんてつい最近まで誰も想像してなかったんだよ。僕はずっと信じてたけどね!」って独白がすごく好きだった(特にピチットくんのまっすぐな自信の言葉には心が救われる思い)。

その流れを汲む勇利の「もっと強くなりたい、もっと強くなれる、僕はヴィクトルの想像を超えられる」の言葉も本当に好き。

想像を超えること、驚きをもたらすこと、それこそが感動を呼ぶし、そうした瞬間をつくりだすことこそが表現者の喜びなのかもしれないと思う。そして氷上という不自由な場所でいかに自由を体現するか、表現するか、という部分がフィギュアスケートの競技としての美しさなのかもしれないとも。

それにその氷上という不自由な場所は、きっと自分という不自由な場所とも重なるんだと思う。作中、登場人物である選手たちはいかに自分を更新していくか、その上で自分を信じて力を発揮していくか、ということに向き合っている。『ユーリ!!! on Ice』という作品は、自分という不自由な場所をいかに超えていくか、という物語でもあるのかもしれない。

 

最後になったけど、勇利の滑走、放送が後半に行くに従って意図的にどんどん作画レベルを上げていく演出になってるのかもしれないなあ。これまでは確信があんまり持てなかったんだけど、第6滑走のSPの最後の横顔を見てひょっとするかも、と思った。

『ユーリ!!! on ICE』、お話も演出も本当にすごいしめちゃくちゃ面白い。今週の放送回もすんごく楽しみ!

*1:ただしこれはあくまで結果的にであって、ヴィクトルのしたことがとてもリスキーであることに変わりはない。

*2:それに構成的なところだと、ヴィクトルの「キスでもすればいいのかな?」→「勇利以上に驚かす方法はこれしか思いつかないよ」という一連の流れと、キスが物語の鍵となる眠り姫をテーマにしたポポさんのプログラムは対置されてるんだろうなあ。ほんとに構成がうますぎて脱帽すぎる…。

アニメ『ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校』 第7話雑感

跳躍する若利くんを「美しいねえ」と言う天童くん、というのがこの放送回分のなかでは一番好き。「美しいねえ」の天童くんの作画も言い方も本当に本当にすばらしくて、見ながらとても有難い気持ちだった…。

作画的な部分だと、スガさんがすごいプレッシャーだ、って思ってる後ろでコート越しに見下ろしてる天童くんも好きだった。音声的というか言い方の部分だと「うん勘」「でも手は抜かないよ」(これはアニオリ?)のところも好き。「美しいねえ」もそうだけど、たぶん声は裏返らない方が自分のなかのイメージに近いのかもしれないなあ。

 

原作を読んだときの自分の捉え方に固執してしまうのはもはや毎度のことなんだけど、それはやっぱり思い入れのある子だからこそなんだろうなあ、とも思う。

「美しいねえ」のところとかは違和感もなく好きだなあと思っていたんだけど、どうも天童くんの過去エピソードのくだりの演出が苦手すぎて二度目を見るまでに大分時間を置いてしまった…。

一番の要因を考えると、きっとそれは回想のあと挟まれたアニオリの「バッキバキに折れ~」の歌だったんだろうと思う。

 

 

このつぶやきを見てああそうか、そうだよな、とも思えたんだけど、それでもやっぱり私は原作を読んだときのふっきれたような天童くん、というのをこの場面に求めてしまっていたみたいだった。

鍛治くんを前にどこか心細そうにも見える中学時代の天童くんも、「何をー?」をああして独唱で、どこか孤独そうに言う声もなんだか見ていてツラかった。

鍛治くんを前にするくだりと「何をー?」の部分で原作よりも性質的な弱さを強調されている気がするし、「心をだよ~」の部分を実際に口にしてるような描写はそこはかとない小物感もあって、そこがしんどかったのかもしれない。

全10回という放送回のなかでキャラクター性を効果的に打ち出すために選択された演出なんだろう、とは思ってもやっぱり見ていて辛いものがあったというか…でもたぶん通しで見るとまた印象も違うのかもしれない。

あとアニメの天童くんは獅音くん呼びだしアニメの大平さんは覚呼びだしやっぱりちょっとずつ原作とは違うみたいで、その部分にもモヤモヤはする。変えた意図とは…と思ってしまうし、でもそんなに殊更に言い立てるほどのものでもないか、とも思う。

ただ終盤、ツッキーのブロックを受けて思いっきり顔しかめるときに天童くんの眉めっちゃ伸びたのエッ…てなった(天童くん通常眉山まで眉無いのにマジか…)。

そしてようやく自分で認めようと思ったけど、食堂の場面と中学時代のコーチとしゃべる場面の天童くんのしゃべり方がすごく苦手だった。推しながらカンに障るというか…。

あと食堂の場面、すごく好きなところなんだけど、私の肩入れフィルター越しに見る原作の天童くんよりもずっとズケズケした物言いで、なんだか胸が痛んでしまった。

でも天童くんてズケズケした物言いをする子だしわざわざカンに障るもの言いを選択していくタイプでもあるから(試合中の対戦相手への態度とか)、正しくはあるんだろうなとも思う。どうも私が勝手に抱いている天童くん像として基本丸みのあるポップ体みたいなしゃべり方をする、というのがあるっぽい。

 

そして最後になってしまうけど、子どもの頃の若利くんがほんとにかわいかった~。

あとこれは若利くん自身の描写ではないけど、終盤若利くんのサーブがレセプションを受けて高く上がるところがすんごい好き。

それとごっしの若々しい感じの声がすごく好きだなあ、と見返すたびに思っていた(ごっしの声、個人的にめちゃくちゃはまってる)。

アイキャッチの瀬見くん大平さん天童くんの三人組もすごく好き。ペットボトル倒れてくるくる回転する天童くん超超超よかった~。

アニメ『ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校』 第5話・第6話雑感

第5話、第6話に限らないけどほんと作画すばらしくて、天童くんのお顔を見んがためにコマ送り職人にならざるをえない…第5話見てて思ったけど天童くんってやっぱり横顔がうつくしいなあ。第5話のセット落としちゃったよの顔も声もホントかわいいし第6話のここにきても動きキレッキレの言い方も120点だった…。

 

そして第5話と第6話見てて思ったけど、作画に限らず描写のクオリティがどんどん上がっていくような印象もあった。ただめっちゃアッサリ進んでいくなあとは思って寂しくはあるなあ。もう折り返しを過ぎて残り4話。ほんともっとずっと見ていたい。

アニメを見てると、全10話というなかで白鳥沢戦を描ききるためにどうしても削らなくちゃいけない部分はあるだろうし、逆に付け足して繋ぐ部分もあるんだろうなあ、というのをときどきすごく感じさせられてしまう。

削られてしまうのも残念は残念なんだけど、個人的には付け足される部分の方が違和感があったりしてしまって、自分を納得させるために制作の方々の意図を考えたりしてしまうというか…。

というのも、第6話見てやっと第5話で登場した及川さんのアニオリ台詞に合点がいった場面もあって。(日向の動きに)付き合わされる方はたまったもんじゃないよね、と観客席から影山を見ながら言う、という及川さんに「???」って初見では思ってたんだけど、第6話のバテる影山の描写のための前振りなんだなあ、と思うとなるほどと思う部分もあった。さらに言えば観戦しにくる及川さんと岩ちゃんという部分を入れ込みつつ、バテる影山の描写のための前振りをしてたわけなんだなあ、と(そうは言っても阿吽の二人の温度の低いドライなやり取りほんとうにすごくよかった。観客席跨いで下りてくる岩ちゃんの動きもすごく好きだった)。制約のあるなかで物語を再構成するのってめちゃくちゃ大変なんだろうなあ、と思う。

あと第6話見てて、バテバテセッターには絶望のデュースかなの天童くんの演出?もちょっとモヤモヤしてしまっていた。

この部分、流れの間に挟まれた緩衝材でもあり次の影山の台詞のための前振りの意味合いもあると思ってて、メリハリを出すために原作ではデフォルメされた天童くんがああしておちょくるような言動をしていたんだけど、アニメの演出だと天童くんのデフォルメ度合いが薄いような気もして。

声優さんという実際の男の人の声が付くということ、画面構成の都合上等身大感は残さなければいけないということを考えると表現媒体を変えた演出ってほんとすごく匙加減が難しいんだろうと思う(うまく言えない)。

あとこれは第5話を見ながら気づいたことではあったんだけど、天童くん推しだし白鳥沢推しだけど私は白鳥沢が烏野に勝って欲しいとは思ってないんだなあ、と。

第5話の終盤、烏野の猛攻の開始感が3期始まってからの展開の中でいちばんワクワクしてしまってる自分がいて、ああそうかと腑に落ちたのがそのことだった。

白鳥沢の「強者であれ」という横断幕の通りで、烏野の前でいかに強者であったか、っていう部分が私は見たいんだな…白鳥沢に負けてほしいというわけでもないけど勝ってほしいわけでは全くない。強者として烏野に敗れていく過程が見たいというか。

第5話終盤の烏野の快進撃ターンが回ってくる場面、その部分のBGMは今期の新しい曲だと思うけどすごくよかった…! 盛り上げ方がとても好きだ~。今期は新しいBGM少ないのかな…?と思ってたところだからとても満を持して感あった。

あと第5話、やっちゃんのお顔ほんとかわいかったしデキスギくんかよのスガさんのヤンキー感すごくよかった。あとアイキャッチの白布とごっし、恐い従兄弟のお兄ちゃんと親族の末っ子感あってかわいい。

第6話の放送の間に流れたCMの天童くんとごっしと若利くんもすんごくかわいかった~。

アニメ『ユーリ!!! on ICE』雑感

評判を聞いて遅れて見始めたらほんと面白かった…!

今期は『ハイキュー!!』と『ユーリ!!! on ICE』の放送を楽しみに毎週過ごしてる。

『ユーリ!!! on ICE』、たぶん第3滑走と第4滑走はそれぞれ6~7回は見た気がする。キャラクターだと私はヴィクトルが一番好きだなあ。第3滑走の「カツ丼大好きだよ」のヴィクトルの声、ほんとに優しくて愛情深くてすごく好きだ。

第3滑走、ユリオとのショートプログラム対決にあたって、曲とテーマのイメージについて悩む勇利。「これじゃヴィクトルを超えられない」と言う勇利に幼馴染の西郡が「マジでヴィクトルを超えられると思ってんの」と返す、というやりとりがあったんだけど、その部分に前に読んだ米原さんと糸井重里の対談を思い出していた。

 

糸井 以前に、スポーツ系の方とお会いして聞いたのですが、「とっても才能のある選手は金メダルを取れない」んですって……。

米原 あ、そうだろうね。

糸井 その人を追い抜こうと思っていた、「ちょっとマシな人ぐらいの人」が、自分より先を走っている天才を見定めて努力していくと、金メダルなんですって。金メダルの選手って基本的には、本当に才能のあるやつが先にこぼれてくれて、その結果、あそこの位置にいるそうで、その話には、リアリティーありますよね。(米原万里『言葉を育てる 米原万里対談集』筑摩書房、2008年、pp.294-295)

 

もちろん勇利もすごく才能のある選手だし、ヴィクトルというとんでもない才能の選手はきっと実際には何度も金メダルを取っているんだろうとは思う。でも、「自分より先を走っている天才を見定めて努力していくと、金メダル」という部分にはどこかヴィクトルを追う勇利を思わされてしまった。あとたぶん米原さんがロシア語の同時通訳者だった、ってところから連想された部分もあったのかも。ヴィクトルはロシアの選手という設定だし。

『ユーリ!!! on ICE』、主に勇利とヴィクトルの二人についてだけど、どうもお茶の間で見るにはソワソワしてしまう場面もあって、そのあたりについては性的な読み換えの余地やCPのほのめかしをあえて前面に持ってくることで却ってフラットな関係を描こうとしてるんだろうか…とか考えていた。目に見えるものを変換したい欲を先に満たすことで、それをフラットなものとして読み換えさせんと欲す的な…。

そしてそのあたりのことをうまく言い表せなくてモヤモヤとしていたところに流れてきたのが一連のツイートだった。

 

 

 

 

 

自分のモヤモヤを言い当ててくれるような、しかし同時に自分が考えもしなかったことをこうも提示してくれる内容でほんと面白くてめちゃくちゃ興奮した…。

そして偶然ではあるけど、勝手に連想してた米原さんと糸井重里の金メダルの話ともどこか繋がる部分もありつつでそれもまた面白かった。

 

そして続く第4滑走。この回は、限りある時間とそのなかでもがくこと、がテーマであるようにも感じていた。

フィギュアスケートという競技に出合って、才能を発揮することになって、そのなかで残された時間と自分の身体的な限界と向き合っていくということ。勇利は選手としての、ユリオは少年としての見た目でいられる時間を意識しながらフィギュアスケートという競技に向き合っている。その上で今の自分を更新しようともがく姿が描かれていたのが第4滑走だった。

 

 

 

勇利をコーチすることになったヴィクトルもまた、例外なく限りある時間のなかで生きている。引用したつぶやきにもある通り、限りある時間を持つ人間としてのヴィクトルを強く感じさせてきたのが第4滑走でもあった。

 

 

人間離れしたひとつの象徴としてのヴィクトル像*1が提示された後、限りある生を持つあくまで人間としてのヴィクトル像が打ち出されてきたのが第4滑走。

一度提示したものを崩して先に進む、というのが第3滑走からの第4滑走だと思うと制作サイドの方々の匠の仕事ぶりをまざまざと感じさせられる…(そもそも第4滑走自体で提示されていたのも現状を突き崩して進む、そうして進化する、というストーリー展開でもあったし)。

 

とにかく『ユーリ!!! on ICE』ほんとに面白い。来週の放送回も楽しみだ~

 

 

言葉を育てる―米原万里対談集 (ちくま文庫)

言葉を育てる―米原万里対談集 (ちくま文庫)

 

 

*1:「リビング・レジェンド(生きる伝説)」との呼び名を持つ圧倒的な才能の持ち主のヴィクトルだったり、これはあくまでひとつの解釈ではあるけど引用したつぶやきの中で指摘されていた金メダルの擬人化としてのヴィクトルだったり、がそれにあたると思う。

アニメ『ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校』 第4話雑感

リアタイできなかったので朝イチで再生しようとしたら録画できていなかったときの絶望感だった…。

インターネットで見ることができて何よりだったけど、やっぱりテレビの画面に慣れると小さくも感じてしまうもんだなあ。Blu-rayを買います。

 

第4話、見る画面が違ったから気のせいなのかもしれないけど動きめちゃくちゃきれいだったような…。

第3話までは天童くんにほとんど目が向いてしまっていたけど、第4話はそこ以外のところで好きな部分がたくさんあって見ててすごく楽しかった。

若利くんのスパイクを叩き落したあと、ツッキーが拳を握って咆哮するところは今までハイキューでは見たことない画面の感じですごかった(原作はあくまで拳を握る静止画の見開きだったから、ガッツポーズしてるイメージと吼えてるイメージはあんまりなかったけど、あの画面のアツさは原作のそれをすごく想起させるものがあった。すごかった)。

「今のサーブは相手を賞賛だ」の山形さんかっこよかったし(原作読んでたときはぜんぜん意識してなかったけどこの台詞ほんとよいなあ。そして福田さんの声超かっこいい)、悔しがるつとむの濁声感がすごくよかった。つとむほんとかわいい…。

あと全体を通して白布の性格がめちゃくちゃキツい感じよかった(同じ学年にいたら恐そう)。

そして飛び込んで足でボールを上げる天童くんの動き、ぐんにゃりしててなんとも言えない感じ癖になる…アニメだとこういう表現になるんだなあ、と思うとなんか新鮮だった。

あとこいつフェイクをのときの顔がすごくかわいいしほんと一級品の囮だねクソがの吐き捨て感にぎょっとするし、英太くん一発頼むよのときに交代する瀬見くんとの身長差にそうだった天童くん背高い子だった…って今更のように感動してた。

それとブーレイクゥのときの天童くんを見ながら、木村さんの天童くんの表現の方向っていわゆるオネエの方の感情表現にインスパイアされてる部分があるのでは、とちらりと思っていたり。なんというかアニメの天童くんにはわりと性別を自由に行き来してる印象があって(太一ボサッとしてるんじゃないよの肝っ玉カーチャン感もそうだけど)、対して原作の天童くんには性別がそもそも無い印象を私は持っていた。

アニメになって実際の男性の声が当てられることで担保された男性性とのバランスを取るために、女性寄りの感情表現をわざと当て込んでるんだろうか。そうすることで性別の偏りを解消するというか…。

自分が納得いくかたちに考えを組み立ててる気もしないでもない。でもいろいろ考える余地があるのはとても楽しい。

今週の放送回もすごく楽しみ!