日記(8月中旬~8月下旬)

・高校の友達とごはん

だいぶ前から気になっていたお店にお誘いしました。

野菜をたくさん使ったお料理が好きそうな子を考えていたら一番に思い浮かんだので、それを口実にお誘いした感じ。

おいしかった~。お料理は3500円のコース。

f:id:tsubametobu:20170827221910j:plain

f:id:tsubametobu:20170827221938j:plain

f:id:tsubametobu:20170827222009j:plain

f:id:tsubametobu:20170827222033j:plain

f:id:tsubametobu:20170827222117j:plain

f:id:tsubametobu:20170827222135j:plain

f:id:tsubametobu:20170827222252j:plain

いろいろ話を聞いてたらこの一ヶ月ほどでお仕事を辞め入籍をしたとのことでした。げ、激動~!

今はご結婚相手のお店を手伝っているとのこと。きのこを食べながら最近は塩の食べ比べが楽しい、というお話をしてくれた。枝豆を茹でては塩を試すらしい。

結婚祝いでごはんをごちそうしたら、お礼としてひよこ豆のみそをプレゼントしてくれました。

mitsuura.jp

使い方を調べてたんだけど、コンソメの代わりに使ってもいいみたい。あとこのレシピもおいしそう!

http://mitsuura.jp/wp/?p=1844

ごはんを食べた後は私の部屋にお招きしました。

本棚と台所をまじまじと観察していらっしゃった…。

本棚といえば、米原さんの本に言及してくれたのがなんか嬉しかったな~。

お茶を飲みながら、友達が持ってきてくれた鳩サブレ―を食べてだらだらおしゃべり。

高校時代の話にもなって、自分は覚えてないことを相手が覚えてたりするもんで、なんだか照れたり恥ずかしくなったりしました。

駅まで送る道すがら「そっか新妻か!」って思い出してはウワー!となること複数回。

 

・天ぷらとプレゼント交換会

pixivの小説に出てくる天ぷら屋さんとおぼしきお店を、友達が発見したことから持ち上がった企画。

件の高円寺の天すけ(https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131904/13010553/)というお店。

写真は卵の天ぷら。目の前で殻を割ってそのまま揚げてくれる。

f:id:tsubametobu:20170827222320j:plain

ブロッコリーの天ぷらがすごくおいしかった!

お昼ごはんの後は、アール座読書館(https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131904/13096272/)でおのおの休憩タイム。私語禁止の喫茶店なので、別々の席に座ってみた。

f:id:tsubametobu:20170827222332j:plain

友達が座った席にはベタのいる金魚鉢、私の座った席には熱帯魚のいる水槽がありました。熱帯魚にはえさもあげた~。

アール座読書館を出た後は、一時間半ほどの別行動。

それぞれ高円寺の雑貨屋さんを回ってちょっとした贈り物を買って、プレゼント交換会をしようという企画。楽しかった~。最初にハチマクラ(ハチマクラ | 紙モノ・古紙・古道具・文具・雑貨)という雑貨屋さんには一緒に行ったんだけど、二人して昔の鉄道荷札にときめいていました。使い道わかんないけどほしい…。

贈り物を選び終えて再集合したのがだいたい16時くらい。

外でお茶をして私の部屋でお夕飯を食べようということになり電車に乗ったんだけど、行こうとするお店がことごとくお盆休みで閉まっていた…。

なのでケーキを買って私の部屋でお茶をしてプレゼント交換会になりました。

プレゼント、友達には「月のお茶」と「旅する石鹸」、ドライフラワーの植物標本(ハーバリウムというらしい)を選びました。

物語性のあるもの、天体、植物、理系っぽいモチーフ、というのが彼女っぽいかなあと思って選んでみたんだけど、喜んでもらえてよかった~。

友達からは本のかたちをした鍵つきの金庫(貯金箱にもなる)をいただきました。かわいいし実用的だし、自分ではなかなか買えないものだから嬉しかった!

貯金箱にして節約をがんばろうと思います。

プレゼント交換の後は旅行とかライブの予定を合わせて、高校の友達にいただいたうどんを茹でて食べました。

高校の友達がお裾分けしてくれたうどんもおつゆもすごくおいしかった。生うどんを茹でるのは私は初めてだったんだけど、茹で終わって冷水で洗っているとみるみるうちに表面がツヤツヤしてくるのが劇的で面白かった。

うどんの後は買い置いていたハーゲンダッツを食べて解散。充実だったな~。

 

・先輩とハイアンドローを観た

f:id:tsubametobu:20170827222355j:plain

本当は渋谷のセバスチャンをリベンジする予定だったんだけど、開店の頃に行ったらもう整理券を配り終わってしまっていて、結局かき氷は食べられず…。

途方に暮れつつ合流のために先輩と連絡を取っていたら、サバンナの高橋が通りかかり「!!!」となった。

先輩とはヒカリエでお昼とかき氷を食べて、ハイアンドローの劇場版を観に行くことに。

窓口でお金を払う段階で初めてレディースデーだと気づき、なんだか得した気分になりました。

ネットでの人気を観て劇場版の第一作は観ていたので登場人物は概ね知っていたんだけど、今作の序盤でバーッとわかりやすく背景等を説明してくれてたのですごく助かった。そして第一作よりも面白い…!

車で戦うところとかなんだかマッドマックスっぽかったな~と思いつつ。

映画の後は私のお部屋に移動、でコンビニで買ったごはんを食べて解散の流れに。

夜はマッサージに行って身体をほぐしていただきました。

 

・つるばみ舎のホットケーキ

行きたいな~と思っていた梅が丘のリトルツリーが移転して、つるばみ舎(https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131813/13190110/)という名前で営業していると知ったのがついこの前。

休日のお昼に思い立って行ってみたらほんとにおいしかった~。

バターを溶かして、あずきとシロップの両方で甘くして食べるのが好き。

二回ばかり食べに行ってみて、私は一度に一枚だけ食べるのがいちばん満足度が高いみたい。

好きなものを好きでい続けるためにも、一度にたくさん食べるのではなくて、ちょうどいい量をこまめに食べに行く方がよさそう。

f:id:tsubametobu:20170827222432j:plain

備忘録3

f:id:tsubametobu:20170823111945j:plain

半休取って六本木でかき氷を食べて展示を見たときの写真。

 

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

 

 

どんなに愛着を抱こうと、その場所を離れなければならない時は来る。痛みを感じていないのではない。ただ、過去への執着は、未来への適応能力を鈍化させる。前へ進むことでしか痛みは癒せないことを、彼らはいやというほど体に刻みこまれてきたのだろう。(星野博美『転がる香港に苔は生えない』文藝春秋、2006年、p.89)

 

彼女はタンスの中から出てくる無数の買い置きの電球や何袋もの生理用ナプキンを、中島みゆきの歌声に合わせていい加減な日本語を叫びながら、楽しそうにバッグの中に放り投げていく。その様子に私は奇妙な感動を覚えていた。

なんでこんなに楽しそうなんだ。この部屋に対する未練とか思い出とか、そんな感傷を彼女は感じないのだろうか。

一方私は引っ越しが決まってからというもの、物を捨てるたびに心がチクリとし、人に物をあげるたびに心の中で別れをいい、街市に行けばあと何回ここで買い物をするのだろうと考えて涙ぐみ、思春期の傷つきやすい少女のように感情をフル回転させてぐったりしていた。

これが私たちに種類の人間の決定的な違いだった。過去をばっさり切り捨てて前に進む人間と、かたや過去をいちいち抱えこむ人間。移動を宿命づけられた人間と、あくまで定住が前提で移動にとまどう人間。(星野博美『転がる香港に苔は生えない』文藝春秋、2006年、p.196)

 

「きっと何かあると思う。俺がカナダで得たものも、きっとあると思う」

自分に言い聞かせるように彼は繰り返した。

「でもそれが何なのか、今の俺にはわからないんだ。時々、何もかも放りだしてどこかへ行きたくなる」

今にも泣き出しそうな阿強を前に、正直たじろいでいた。精一杯虚勢を張る彼に今まで反感ばかり抱いてきたが、いざ彼が本心を吐露し始めるとどう対応していいのかわからなかった。

「阿強はいつも努力してる。いつも勉強しようとしてる。私は感心してるよ」

彼は何も言わず、ただ私の言葉を待っていた。

「カナダで得たことが、きっといつかわかる日が来ると思うよ」

それは口先だけの慰めではないつもりだった。どんなに愚かに見えることも、自分が受け止めることができればいい経験となり、どんなに素晴らしいことも、今の自分が愚かなら無駄になる。手元に残った現在を金額で比較したいなら、彼は間違った選択をしたのかもしれない。しかし時間だけは、すべての人に等価で与えられる。その結果が出るのは、もっともっと先のことだ。(星野博美『転がる香港に苔は生えない』文藝春秋、2006年、pp.413-414)

 

言葉を育てる―米原万里対談集 (ちくま文庫)

言葉を育てる―米原万里対談集 (ちくま文庫)

 

 

みんなが緩やかに集まり、助け合うけれど、何も押し付けないし、押し付けられない。(中略)肝心なのは、いつも知的好奇心に満ちた面白がりやの集団であること。(米原万里『言葉を育てる 米原万里対談集』筑摩書房、2008年、p.364)

 

傍若無人ヒューマニスト、異文化複合のアマルガム米原万里は逝ってしまった。(米原万里『言葉を育てる 米原万里対談集』筑摩書房、2008年、p.365)

 

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

 

 

ヒトにも、モノにも、売れるか売れないかなんかに関係なく、それそのものの価値がある。いや、価値なぞ無関係に、それぞれ勝手に存在する。(米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』新潮社、1997年、p.11)

 

どんな醜悪な現実であれ、まっすぐ見つめよう。われわれはそこからしか出発できないのだから。これがこの映画に込めたメッセージだ。やはり次の世代に期待するしかないからね。たとえ少しずつでも、まともに働く人間が報われるメカニズムができてきたら、きっと革命は成功するよ。月並みだけど。(米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』新潮社、1997年、pp.115-116)

 

亡命ロシア料理

亡命ロシア料理

 

 

食欲も興味もなしに食事をするくらいなら、まったく食べない方がましだ、だって、官能的な喜びすべての中で、食べる喜びだけは悪徳となることがないのだから。そして、これは人が物心ついた時から死ぬまで楽しめるものなのだ。(ピョートル・ワイニ『亡命ロシア料理』未知谷、2014年、p.65)

 

料理と人生、つい比較してしまう。どちらにおいても「人は生きるために食べているのであって、食べるために生きているのではない」という格言は正しい。しかし、本当のことを言うと、人は美味しく食べるために生きているのだ。(ピョートル・ワイニ『亡命ロシア料理』未知谷、2014年、p.115)

 

 

無造作に表面の焦げた部分を削り落とすと、厚さにして六センチを超えるTボーンの肉を、面白いように腑分けしてゆく。しばらくして大皿いっぱいに肉が盛られた。肉は外側は完全に焦げているが、内側はまだうっすらとピンク色を湛え、その微妙な諧調が美しい。(四方田犬彦『ひと皿の記憶 食神、世界をめぐる』筑摩書房、2013年、p.255)

日記(7月下旬~8月中旬)

桃パフェ。

f:id:tsubametobu:20170806212934j:plain

桃パフェ2回目。

f:id:tsubametobu:20170806212848j:plain

ひとりで食べました。きっと誰かと一緒に食べた方がおいしい(反省)。

 

・会社の方とランチ×2

普段はデスクでコンビニごはんなんだけど、珍しく別部署の方とランチに行った。前の部署で同じ課だった主任さんからはプランターで育てているというミニトマトをいただいた。親切にしていただいて嬉しかった。

あとひとつ下の代の子ともランチに行って、会社の部の合宿に行くことになった。すごく人当たりの良い子で、ああこういう方が人から好かれるんだなァ…となんだか眩しかった。

 

・ローソンでスヌーピーのペアプレートを集めてた

周りの方々のご協力もあって結局ペアプレート×2セットをゲットしました。今はペアプレートが4枚自宅にあります。

友達を呼んだ時のケーキ用のお皿にしたいな~。

 

・先輩のご実家に遊びに行かせていただいた

渋谷のセバスチャン(https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131810/13127544/)でかき氷の予定だったんだけど、整理券の配布を終了していたので、お茶をしてタイ料理を食べてからご実家に遊びに行かせていただきました。

飼っている犬がすごくかわいかった。そして幸せそうだったな~。

あとご家族の方がすごくご親切だった。ああ家族っていいなあと羨ましくなって、私も実家に帰りたくなった。

 

・母とランチ

なんだかんだ初シズラー。胡桃とレーズンのパンにバターをつけて食べたのがおいしかった。あとはタコスとかタコライスを自分で作れるのが面白いな~。

行ったのはシズラーの押上店。藤井隆がテレビで紹介していたらしくて、それを見て母が「行きたい!」ってなったという経緯。

テレビではミニトマトの種類が何種類かあったんだけどな~、ということを3回くらい言っていた母でした。

母がどこかに行きたいっていうのってすごく珍しいから、できる限り叶える? というか、一緒に行くようにしたいな、って思う。今回のシズラーもそうだし、11月予定の台湾旅行もそう。

でも母が喜ぶことってなかなか難しくて、今回のシズラーも期待値が高すぎて思ってたような感じでもなかったみたいだった。うーん。

台湾旅行も似た感じの結果になる気がするなあと薄々思ってはいるんだけど、どうせならちゃんとしたところに泊まって下調べをした上で観光もして、その上でがっかりしてもらった方がいい気がする。たぶん最初で最後の台湾旅行になりそうだし(母だけじゃなくて私においてもそんな予感がする)、自分のためにも後悔のないようにしたい。

そんなことをモヤモヤ考えてたら、子どもの頃母が自分にしてくれたことのいろいろを思い出してもいた。してもらったこと、私は全部を喜んで受け止めるような子でもなかったから、母もそういう時はすごくガッカリしたんだろうなあ、と。それでもこの年になるまでずっと世話を焼き続けてくれたんだなあとも思った。

 

・母と買い物をした

スカイツリータウンをぶらぶら。夏セールで安くなってた。私は鞄、母はブラウスを買った。私の服と鞄が合ってないということ、通販で買うもんだからサンダルのサイズが合っていないということを母には指摘された…言ってくれる人がいないと気づかないから有難いな~と思った。

あとニトリでお弁当箱を買った。お弁当作りのトライアルキットとしてはこの上ない品物なのではないか?

母と別れた後、100均でバンダナを買ってお弁当包みも入手。

 

・お弁当デビュー

味玉とししとうの甘辛煮を前日に作って、翌日に大葉と梅の肉巻きを焼いてお弁当に。梅はチューブのやつを使ったんだけど、やりすぎたみたいでしょっぱくなってしまった…。

あと味玉、ビジュアルとイメージは好きだけど実際に食べるとウーン…という感じ。

 

・友達の誕生日祝い

f:id:tsubametobu:20170811230219j:plain

お昼→サンシャイン水族館サーティーワン丸善ジュンク堂という動線。

サンシャイン水族館は人が多かった~…。

チンアナゴコツメカワウソがかわいかった。

サーティーワンは前にテレビでやってたキャラメルリボンとジャモカアーモンドファッジの組み合わせ。

丸善は文具見ながらアレコレ話して楽しかったな~。秋になったら新宿御苑あたりで写生しようね、ってことになった。楽しみ。

池袋に向かうまでの間に『定年後』を読んでいたのもあって、老後の話をやたらとしたくなってしまってた。退職したらどんなことをしたいかなー、とか考えながら囲碁サロンを見ては囲碁もいいと思い、文具を見ては写生もいいと思い。

お腹がいっぱいだったので夕飯は食べずにバイバイして、帰り途中でステンレスのお弁当箱を購入した。のっけごはんを試したいなー。

 

定年後 - 50歳からの生き方、終わり方 (中公新書)

定年後 - 50歳からの生き方、終わり方 (中公新書)

 

一人暮らし後のいろいろ

主に4月以降にあったことの覚書。


・クレカが止まった
家電と家具と生活用品を全てカードで購入してたら止まりました。
限度額が低かったのも原因…。
身の丈にあった生活がしたいだけ、だから別に家電もそんな高いのはいらないし家具とか生活用品はほぼニトリでいいし…と思ってそこそこ節制してたつもりがこの結果だったもので、なんだかショックだった。
家電量販店でカードが止まってすごく嫌な汗をかいた。そしてキャッシュカードがデビットカードになると知ったのもこの時。
そう、あといわゆる白物家電を買うのもこれが初めてで、必要な機能を吟味して決断していかなきゃいけない感じがなんだか大人じゃん…と今更のように思った気がする。
これは家電にとどまらずだけど、あらゆるものごとには規格があって、それを踏まえておかないと後々買い替えになってしまうから気をつけないといけないんだなあ。


・赤ちゃんGが巣を作る
台所になーんか黒い虫がいる…と思ってたけどまさかこれがGだとは…という感じだった。台所の作りつけの戸棚が巣になっていた!
赤ちゃんGを殺して、フンも掃除して、穴っぽいところをコーキングしてみて、対策用のスプレーを撒いて、っていろいろやったけど古い住宅だから完全におさらばするのは難しいのかなー。
アルコールスプレーも自作するようになりました。ハッカ油を入れたらすごく爽やかでいい感じ。あとキンチョーから出てるスプレーを教えてもらって、それがとても効き目がありました。


・天童くんのお誕生日をお祝いした
f:id:tsubametobu:20170716081156j:plain:w300
ハヤシライスとチョコパフェを食べた!
待ち合わせの前に本屋さんに寄ったらバースデー文庫が置いてあったので、思わず5月20日のものを買ってしまった。
5月20日はバルザックの『谷間の百合』。しかし今も半分も読めていない…(合わなかった)。
前日の金曜日は終業後に先輩と話してたら23時半くらいになってしまって、結局電車の中で日付が変わって天童くんのお誕生日だった。
同じ職場に新卒で入って2年目の子がいて、その子が優秀でバリバリ働いていて、私も頑張らなければな~というこの頃。その子と比べてどこがダメなのか、ということを先輩には聞いてみたんだけど、自分でやっておきながらなかなか凹んだ。
今までも頑張っていなかったわけではなくて、自分のなかではちゃんと考えて仕事をしてきたつもりだったけど、でももっと本腰を入れないとダメだよな~…。特別に頭がいいわけでもなく、人から好かれるわけでもなく、要領がいいわけでもなく、まあそれでもきっと働き続けなくてはいけないし。
そんなことをモヤモヤ考えながら歩いていて、ホントに天童くんって私にとって要所要所で引導を渡してくれるような子だな、と思った。
この部署にくるまでは実家暮らしということもあって私の生活の中心を占めていたのは趣味そのものだったんだけど、4月になって一人暮らしを始めて、残業も多い中でなかなか趣味に打ち込む余裕もなくて、これはもう仕事を自分の主ジャンルにするしかないんだろうか…とも思っていて。私にとって天童くんは自分がいちばん大事にしているものを手放して先に進んでいく子でもあって、よりにもよって天童くんの誕生日にそんなことを実感したというのが勝手に引導を渡された思いだったのかも。
友達にそんなことを話しながら、天童くんという子を好きになって本当によかったな~と思った。まあでも趣味は続けるけどね!


・3年ぶりに高校の友達と会った
f:id:tsubametobu:20170716081257j:plain:w300
会ったのは天童くんのお誕生日の翌日。リンツカフェでチョコのアイスを食べた。
神楽坂のおいしい中華を食べて(https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130905/13156026/)、この3年に何があったとかいろいろお話した。
彼女は今彼氏と一緒に神楽坂に住んでいるんだけど、夜仕事終わりにタクシーで飯田橋にごはんを食べに行って、歩いて部屋に帰ったりするらしい。なんかすごくいいなー。
なぜかお互いの職場を見に行く流れにもなって、不思議な一日だった。来月私の部屋にお招きする予定。


・初めてのサークル参加
あっけなく申し込めてしまった! 思っていたよりずっと簡単だった…そしてとても得難い経験をさせていただいたなあ、と思った。
イベントに参加したときに「出ないんですか?」と聞いてくださった方がいて、なんだかそういう風に気にかけていただけるのが嬉しくもあって、エーイ! とばかりに申し込んでしまった。
時間もあんまり無かったし、印刷所にお願いする方法もよくわかんなかったし、コピ本で…と思ったらそれもよくわかってなくて、印刷の当日に「アレッ? コピ本って4の倍数のページ数にしなきゃいけないのか?!」と気づいて焦ったりもした。
そして今回表紙を描いてくださった上にコピ本作成に際するいろいろを教えてくださった方がいて、本当にご親切に甘えてしまっていました。有り難い上に嬉しくて、こんな神様のような方が…と拝むような気持ちだった(そして後から甘えすぎたことをすごく反省した…)。
その方は本を買う側として個人的にtwitterだったりpixivだったりをフォローしていた方で、こんなことってあるんだなあ、有難いなあ…と思ってイベントが終わった今も噛みしめてしまったりもする。
それにお描きいただいた表紙効果がすごくて、用意してた件のコピ本も全部はけたのが嬉しかった。と、虎の威を借ってしまった…。
f:id:tsubametobu:20170710225351j:plain:w300
イベント後に千疋屋で食べたチョコバナナパフェ。ハヤシライスも食べたよ!


・感想が嬉しかった
何かを言ってくれるっていうのがすごく嬉しいな~って思ってしまう。嬉しいから全部スクショしてときどき見返してしまってて、ホントにめちゃくちゃ元気が出るなあと。私も匿名を中心にもっと感想を送りたい。


・カレーパーティーをした
cookforyou.jp
このレシピを試しました。
一人暮らしをしてからカレーは一度も作ってなかったんだけど(量が余りすぎてしまうし)、ちゃんと手間をかけるとホントにおいしいな~。
天童くんのお誕生日祝いのとき千疋屋に並びながら持ち上がった企画だったんだけど、とても楽しかった。
友達がこのレシピを試したいんだけど家は甘口派だからなかなか試せないんだよね~…、と言っていて、それならお泊り会でカレーを作ろう! ということで実現。
フードプロセッサーを買ってその威力に驚いたり、みじん切りにして冷凍してた玉ねぎがなかなか溶けなかったり、鍋が若干小さかったり、いろいろあったけどワイワイ言いながら作れて楽しかった。
刀剣乱舞のアニメと刀ステ、ユーリを流しながら作業して、ごはん食べて銭湯に行って、推し本会もして、すごく充実の一泊二日でした。
あとカレーを作った次の日は夜ごはんとして餃子も作った! でもこっちはなかなか焼くのが難しかった…。
f:id:tsubametobu:20170716081409j:plain:w300
人と食べるごはんはすごくおいしい。

帰省とかいろいろ

3月に実家を出て一人暮らしを始めて、めでたく23区民になりました。

家賃がすごく安い、その割に駅からの距離もまあまあで広さもある、ということでエーイとばかりにこの物件に決めてしまったんだけど、赤ちゃんGが棚に巣を作っていたり、隣の部屋のおじさんのくしゃみがよう聞こえたり、また別の隣の部屋からは深夜2時まで映画の効果音が聞こえたり、でわりと悩ましいこの4ヶ月だった。

(脱毛の時、雑談してて施術してくれたお姉さんに家賃と場所を言ったら「事故物件…?」って聞かれもした)

 

そして4月に部署も異動になって、残業もすごく増えてびっくり。まあこれが社会人としては平均的な生活スタイルなんだろうか…という感じ。平日夜はホントになんもできない。でも通勤時間が短くなったから身体は楽で、とはいえお客さんからの電話を取らなくなったら日中だいたい眠いし、栄養が偏っているからかなかなか疲れが取れない気もして、生活していくって大変だな~…と今更のように噛みしめたりもする。あと私の手料理は雑な味がしてあまりおいしくない。

GWに一度帰っていたんだけど、つい先週4日ほど実家で過ごしてみたらとても快適で、なんで実家出ちゃったかな~、バッカだな~…、とか思いもしたけど、まあ出てしまった以上仕方ないよなあと。

 

「あとどれだけいるかもわからないし。ここを楽しむ方法を必死で考えたんだよ」(星野博美『島へ免許を取りに行く』集英社、2016年、p.162)

 

星野さんの本の中のこの言葉をなんとなく思い出してしまった。こういう姿勢が必要になってくるのってきっとこの先ずっとなんだろうなって気もする。

帰省したのは金曜の夜だったんだけど、母に地元駅まで迎えにきてもらって車に乗り込んで、体調が悪かったので後部座席で荷物を枕にして横になっていた。

母がちょこちょこ近況について聞いてきて、まあ先月は残業がすごく多くて、ってことを話しはじめたらなんかちょっと泣けてきてしまい我ながら「な、情けねえ~…」という感じだった。ホッとしてしまって涙腺が緩んだ模様。

一人暮らしだと家に帰ってしゃべる人もいないし、正直実家でしゃべる相手って母くらいだったから、戻ったらいっぱい聞いてもらいたいことがあったはずなのにタイムラグがあるとかなり忘れてしまっているししゃべりだしても言葉にするのが途中でめんどくさくなってしまいもするもんで、これが一人暮らしの弊害か…? とも思った。どんどん人とうまくしゃべれなくなるやつではないか…。

そうは言いつつたくさん世話を焼いてもらって、つくづく実家っていいな~と思った。

 

・幼馴染の家に繋がる坂がなんか森みたいになってた

驚くほど背が高い樹がワッサーなってて、遠目に見てびっくりした。母に言ったら幼馴染のおばあちゃんが最近元気がないみたいで、枝下ろしを誰かに頼むことをしばらくしてないらしかった。そんな話をしながら幼馴染のおばあちゃんの記憶が二十年近く前の姿で止まってることに気がついた。

 

・実家のトマトがおいしかった

実家は畑があるんだけど、毎日のようにトマトを食べていた気がする。うちのトマトは青臭いんだけど、味がぼやけてない感じがして好き。

トマトと卵の中華炒めにして食べてた。

(鶏がらスープのもとを溶いた卵を焼いて一度フライパンから下ろした後、トマトだけで焼いて最後に卵と炒め合わせるレシピ。トマトを焼くときは油ちょっと多め、塩きつめにするとおいしい)

 

・母の手料理がおいしかった

バラの薄切り肉にししとうだとか、トマトとチーズだとか、大葉だとかをそれぞれ巻いて焼いて食べさせてくれたのがすごくおいしかった。簡単だから今度真似したい。

 

・お風呂上りに母と話したのが癒された

アルビオンの美容液を母にプレゼントとして渡したんだけど、お風呂上りに私も使わせてもらった。あと母が買ってる雪肌精も。私も今使ってるよくわかんない化粧水が無くなったら雪肌精にしようかと思った。お風呂上りにだらだらおしゃべりするのも久しぶりでなんだか懐かしくて癒された。

 

・家の周りが静か

今住んでる部屋は壁が薄いから隣の障子やらサッシやらの音が聞こえる…。

その点実家は夜すごく静か。でも部屋が妹と同じなので、妹の再生するユーチューバーの音声がしんどい。イヤホンをしておくれと言いたいが不仲なので言えない。

 

・服を買いに連れていってもらった

日曜の夜、何の気なしに服を買いに行きたいな~と言っていたら、月曜午後に連れて行ってくれた。母はパートをしているんだけど、午後休を取って。

今思うとわがままっぽいことを言いたかったんだよな~自分…という感じで、あ~なんかすごく甘えてるし甘やかされてるな、と思った。

 

・夕飯を作った

梅とレンコンと大葉の餃子、ゆで卵と大根の煮物、人参とちくわのマヨポン炒めを作った。うーん。やっぱり雑な味がした。でも自分一人が食べるだけじゃないと作るのにも張り合いがある。料理上手になりたい。

 

島へ免許を取りに行く (集英社文庫)

島へ免許を取りに行く (集英社文庫)

 

天童くんと備忘録

 天童くんみを感じた文章の備忘録です。

 

魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)

魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)

 

 

心の中に生じたモヤモヤとした得体の知れない屈託を「悲しい」とか「切ない」とか「餃子が食べたい」という言葉によって言い当てることによって、われわれは自己の感情を突き放して客観視する契機を得る。どんなに複雑怪奇な現象もわれわれは言葉かイメージか数式のような記号によって把握しようとする。われわれ自身の思考も感情も、言葉の助けを借りてより深く、より詳細に展開することができる。しかし、ほかならぬ、この思考にとって欠かせぬ手段である言葉が、逆に思考を停止させたり、ミスリードしたりする危険をはらんだ曲者であることを、肝に銘じておきたいものである。(米原万里『魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章』新潮社 、1999年、pp.80-81)

 

この文章に思い出されるのは、コミックス第20巻収録の第176話「新鮮」での天童くんと若利くんのやりとり。

第176話、天童くんは若利くんが日向を嫌だと思う理由について話す。天童くんは指摘する。若利くんが日向を嫌だと思うのは、「得体が知れないから」なのではないかと。

天童くんは若利くんにとって思考や感情を客観視する契機を与える存在だ。「モヤモヤとした得体の知れない屈託」を生じさせる「複雑怪奇な現象」を若利くんにとっての日向だとすれば、日向への理解の手助けをする天童くんの存在は「言葉」ほかならない。

そして引用の中でも語られている通り、言葉は思考や感情をより深く、より詳細に展開することを助ける存在でもある。

同じ第176話、若利くんは天童の言葉を借りると、と前置きした上で「ノッてきた」と言う。さらに第179話「嫌な男」では、第176話での天童くんの言葉を借りるように日向について「何か嫌だ」と思う若利くんが描かれている。

天童くんは若利くんの思考や感情を展開する言葉を与える存在だ。

あと最後の一文の「曲者」というのもなんだか天童くんっぽいなあ、と思ってしまう。

 

 

 

 私たちは時間の経過とともに成長し、老いていきます。歳を重ねるにつれ、体や頭の動きが衰える一方で、多くの経験を重ねて直観力は鋭くなっていく。おしなべてみれば、人間の一生には全盛期も衰退期もないのです。だからこそ、“今さら”ではなく“今から”。好奇心をもって新しいことに挑戦することが大事です。(佐治晴夫「『今さら』ではなく『今から』。それだけで人生は変わります」、『暮らしのおへそvol.23』、2017年1月30日、pp.45-46

 

原作の天童くんというよりも、この先を歩んでいく天童くんがこうあってほしい、という理想をこの文章に見たのかもしれない。引用した中での「多くの経験を重ねて直観力は鋭くなっていく。おしなべてみれば、人間の一生には全盛期も衰退期もない」というのが個人的なこの文章の中の骨子かなあ。

直観というのが天童くんを連想させたんだろうな~と思ったけど、天童くんのプレースタイルは直観でなくて直感だった(ということに今更気がついた)。

でも直観の意味をインターネットで調べてみたら「推理によらず、直接的・瞬間的に、物事の本質をとらえること」と出てきたから、天童くんといえば天童くんかもしれない。

白鳥沢学園高校はバレーの強豪校で、そんなバレー部のスターティングメンバーとして天童くんはコートに立ってきた。そのための努力はきっと並大抵のものではないはずだし、それくらいに天童くんは自分の好きなバレーをすることに執着してきたのだろうとも思う。

けれど第21巻収録の第189話「宣戦布告・2」で、天童くんは高校でバレーを止めることを明言する。

天童くんの執着してきたプレースタイルは、現代のバレーシステムの中では決して歓迎される類のものではない。しかし、白鳥沢学園においてはそのプレースタイルは肯定された。天童くんにとって白鳥沢学園は、自分の好きなバレーのできる楽園だった。

第189話、白鳥沢学園高校に対する烏野高校の勝利をコートの外から見届けながら、天童くんは「さらば俺の楽園」と口にする。天童くんにとって自分の好きなバレーのできる楽園こそが白鳥沢学園高校であって、その敗北は他でもない楽園の終わりでもある。なぜならば、天童くんは三年生であり、春高出場は白鳥沢学園高校の選手として公式戦に出られる最後の機会だからだ。

自分の好きなバレーをするという点においては、確かに白鳥沢学園高校での三年間は天童くんにとって全盛期であったのかもしれない。けれど私は、白鳥沢学園高校での三年間が天童くんのこの先の人生においての全盛期であって欲しくないともずっと思っている。

バレーを止めたとしても、天童くんのこの先の人生にはたくさんの選択肢がある。きっといくつになっても新しいことはできるし、どんな選択をしたとしても、天童くんが幸せだとか、楽しいだとか思える瞬間はいくらでもあるのだと信じたい。天童くんの人生が、今も昔もこれからも優劣なくかけがえのないものであり続けてほしい。

原作の天童くんは私にとってどうも永遠の18歳というか、年を取っていくイメージもあまり湧かないんだけど、もしもこの先大人になっていくとしたらそうであってほしいな~と思う。

 

 

以上、ここ最近で天童くんみを感じた文章でした。

備忘録2

男子問題の時代?:錯綜するジェンダーと教育のポリティクス

男子問題の時代?:錯綜するジェンダーと教育のポリティクス

 

  

「男性的」と定義される能力は「正当な能力」として公的に認められる傾向が強かったのに対して、女性的と見なされる能力は「正当な能力」の範疇から除外されがちだった。たとえば、近代社会における最も公的かつ基本的な「能力証」は学歴であったが、学歴は男性的特質とされてきた知識や思考といった理性面での能力を保証するものであり、女性に特徴的とみなされてきた「感情を整理する」能力(Hochschild 1983=2000:12)を保証するものではなかった。

また、土木・建築・製造といった第二次産業の拡大をともないながら発展していった近代産業社会は、身体を用いた労働におけるモノづくりや筋力労働といった「男性的能力」のニーズが極めて高い社会でもあった。こうした社会的状況においては、男性は、社会化(socialization)の過程において自らの性に対して期待される能力を伸ばしていけば、それが労働市場における安定した雇用や収入に結びつきやすかった。とくに日本では、1960年代に急速に高まった労働力需要を満たすため、それまで非正規労働者として雇用されるのが通例であったブルーカラー層が正社員として雇用される機会が多くなり(本田2004)、幅広い階層の男性労働者が安定した雇用と収入を確保することができていた。(多賀太『男子問題の時代?―錯綜するジェンダーと教育のポリティクス』学文社 、2016年、p.65)

 

これまで男性に特徴的とされてきた能力の価値が相対的に低下し、代わって女性の特質とされてきた能力の価値が上昇してきた。(中略)

重工業中心の工業社会から情報とサービス中心の消費社会へという社会変動のなかで、労働者に求められる能力に変化がみられるようになった。機械化の進展と製造業の衰退により、これまで主として男性に求められてきた筋力労働やモノづくりに関わる能力の需要は相対的に低下してきた。他方で、家事の市場化やサービス部門の拡大が進み、これまで女性に求められてきたケア能力や対人関係能力の需要が高まってきた。(多賀太『男子問題の時代?―錯綜するジェンダーと教育のポリティクス』学文社 、2016年、p.69)

 

 

 

福祉排外主義とは、比較政治学者であるキッチェルトが提示し、現在では広く受け入れられた概念であるが、福祉・社会保障の充実は支持しつつ、移民を福祉の濫用者として位置づけ、福祉の対象を自国民に限定するとともに、福祉国家にとって負担となる移民の排除を訴える主張である。(水島治郎『ポピュリズムとは何か―民主主義の敵か、改革の希望か』中央公論新社、2016年、p.70)

 

ポピュリズムは、「ディナー・パーティの泥酔客」のような存在だという。

上品なディナー・パーティに現れた、なりふり構わず叫ぶ泥酔客。招くべからざる人物。その場の和やかな雰囲気を見出し、居並ぶ人々が眉をひそめる存在。しかしその客の叫ぶ言葉は、ときとして、出席者が決して口にしない公然の秘密に触れることで、人々を内心どきりとさせる。その客は、ずかずかとタブーに踏み込み、隠されていた欺瞞をあばく存在でもあるのだ。(水島治郎『ポピュリズムとは何か―民主主義の敵か、改革の希望か』中央公論新社、2016年、p.231)

 

 

戸籍って何だ―差別をつくりだすもの (プロブレムQ&A)

戸籍って何だ―差別をつくりだすもの (プロブレムQ&A)

 

 

明治になって始まった日本の近代戸籍は、「庶民の家系図」と呼ばれました。今もそうですが、戸籍は住民登録とは異なり、「家の系譜を辿ることのできる家族の記録」だと考えられています。だとすれば、唐の戸籍は、近代戸籍とは違い「戸」の記録なので、現在の住民登録に近いもの、といわなければなりません。(佐藤文明『戸籍って何だ―差別をつくりだすもの (プロブレムQ&A)』緑風出版、2010年、p.20)

 

戸籍が居住関係の登録であり、国勢調査のような五年ごとの一斉調査(登録)であったなら、日本人居住地における外国人の排除は起きなったかもしれません。(中略)

しかし、明治政府が五年ごとの一斉調査をする力がなく、届出制に舵を切ったことから、届出を促す強制力が必要になりました。そうなって初めて、太政官布告の前文が大きな意味を持つに至ります。すなわち、「戸籍に就かなければ外国人扱いし、日本人として保護しないぞ」という強迫が、戸籍への届出を強制する力になったのです。

この強制力は当初、外国人を差別するというよりも日本人を差別するために機能し、日本人でありながら戸籍のない者や、戸籍が持てない者を「二級国民」、あるいは「非国民」としてさげすむ風潮を作り出します。(中略)

この構造はまた、植民地台湾や朝鮮でも活用されます。日本国籍者とされた台湾や朝鮮の人たちも、戸籍法の適用対象者にはならず、それぞれ別個な台湾戸籍、朝鮮戸籍に編入されたのです。そして婚姻によって女子が夫側の戸籍に編入されることを除き、男子はそれぞれの戸籍(戸籍と国籍の中間に当たる日・台・朝それぞれの民族籍を「民籍」と呼んでいました)を移動することが許されませんでした。

そしてあるときは日本人としての責務を押し付け、またあるときは日本民族ではない「二級民族」としての地位に甘んじさせられたのです。そのため、台湾・朝鮮の内部からも「戸籍の統一」を求める声、すなわち立派な皇民となって、皇軍の兵士として徴兵されることを名誉だとする考えが浮上してきます。

外国人は日本人の中にこうした心理が生み出され、都合のよい支配が実現されるためにも、差別の対象でなければなりませんでした。外国人が日本人並みに保護されてしまっては日本人の中にこうした心理が育つことができないからです。

戸籍は本質的に、外国人を差別すればするほど、安定した支配装置となるのです。人々は差別されることを避けるため、自ら届出を励行し、制度のありがたみに感涙し、戸籍の軍門に下るのです。だから戸籍は外国人を差別しつづけ、平等化することを恐れます。(佐藤文明『戸籍って何だ――差別をつくりだすもの (プロブレムQ&A)』緑風出版、2010年、pp.95-96)

 

女性の権利はこうした個としての地位を確立し、差別をなくすことにあるのであって、妻の座の向上を求めたり、向上した妻の座の片隅に位置を占めることではないのだ、という主張です。それらはまた、働く独身女性のさまざまな不利益を解消する運動とも連動しています。(佐藤文明『戸籍って何だ―差別をつくりだすもの (プロブレムQ&A)』緑風出版、2010年、p.150)

 

諸外国において国籍とは民族とは異なる個人の変更可能な属性で、生活圏における所属成員権であると考えられています。生活圏における権利は地域との絆の表れであり、まずは「市民権」として認識されます。これが国家領域に拡大したものが「nationality(国民権)」です。

したがって、国籍の取得(市民権の取得)とは、生活圏との絆を確立した者の成員権を市政府や国政府が追認するもので、政府が勝手に与えたり奪ったりするものではありません。だから、地域との絆がない渡来者が国籍取得を申請する場合は別として、政府が取得に条件をつけるのは本来、筋違いなのです。(佐藤文明『戸籍って何だ―差別をつくりだすもの (プロブレムQ&A)』緑風出版、2010年、p.184)

 

双子の兄弟になぜ、兄・弟を決めなければならないのでしょうか。

固定的な序列をわざわざこしらえ、人々の暮らしに差別を持ち込むこうした登録は許しがたいものです。民間の慣習に任せるか、無用な区別を廃止するのが筋ではないでしょうか。(佐藤文明『戸籍って何だ―差別をつくりだすもの (プロブレムQ&A)』緑風出版、2010年、pp.199-200)

 

人の連続的な属性について、カテゴリーを発見し、分類するのは学術的研究にとって不可欠な営みです。しかしこれは不鮮明な現実を鮮明にし、問題発見を助けるものであって、現実そのものではありません。(中略)

したがって、この分類を実際の人間に当てはめ、現実の人間よりも「真」であると考えてはなりません。そうした行為は分類の中間域を抑圧し、分類によって与えられた評価によって不当な差別がもたらされるからです。(中略)

したがって、このような分類はむやみに行うべきではなく、必要最低限度にとどめるべきであるとともに、現実の人間に沿った修正が不断に行われる体制がなくてはなりません。(佐藤文明『戸籍って何だ―差別をつくりだすもの (プロブレムQ&A)』緑風出版、2010年、p.201)

 

「だめだ」といわれたら理由を聞き、納得の上で訂正しましょう。ここでも生年月日を西暦で記入することは可能で、訂正を命じるのは不当です。わたしたちが従わなければならないのは法律だけで、通達は役所を拘束するもの。わたしたちが従う必要はありません。また、「元号法」も政府機関に対する法律で、わたしたちを拘束するものではありません。(佐藤文明『戸籍って何だ―差別をつくりだすもの (プロブレムQ&A)』緑風出版、2010年、p.211)

 

 

 

個人的なことは、口外しないこと。アウティングは、「そもそも隠してる方が悪いんだ」みたいな話じゃない、個人と個人の信頼の話だからね。(牧村朝子『ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか?』イースト・プレス、2016年、p.80)

 

性分化疾患……卵巣・精巣や性器の発育が非典型的である状態。

  ―日本小児内分泌学会性分化委員会 性分化疾患初期対応の手引き

 

この「性分化疾患」とは、60種類以上の様々な疾患名の総称であり、「性分化疾患群」とでも言うべきものなの。ひとりひとりの身体はみんな違うし、ひとりひとりの自己認識もみんな違います。本人と話もしないまま、「男か女しかない性別欄で苦しんでいるはずだ!」と決めつけることは、自分自身の主張のために他人を道具にするような、失礼なことよ。性分化疾患の一種と診断された人には、自分を男もしくは女と認識している人だって、LGBTの権利運動に利用されることを好まない人だっているんだということを、まずは踏まえておきたいわね。(牧村朝子『ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか?』イースト・プレス、2016年、p.84)

 

たとえネット上であっても、ネタにされている人は実在する人間だという感覚を忘れないこと。(牧村朝子『ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか?』イースト・プレス、2016年、p.116)

 

 

魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)

魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)

 

 

おおよそ大多数の人々にとって、自己や自民族を中心に世界は回っている。それは必ずしも悪い良いと決めつけられることではなく、生命体の自己保存本能から発する自然の法則のようなものである。だから、「相手に身になって」考える「思いやり」には限界がある。相手自らに語らせて、常にそれに対して心開き耳傾ける姿勢であることのほうが、より確かな気がする。(米原万里『魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章』新潮社 、1999年、p.117)

 

 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

 

 

「でも、私にはボスニアムスリムという自覚はまったく欠如しているの。じぶんは、ユーゴスラビア人だと思うことはあってもね。ユーゴスラビアを愛しているというよりも愛着がある。国家としてではなくて、たくさんの友人、知人がいるでしょう。その人たちと一緒に築いている日常があるでしょう。国を捨てようと思うたびに、それを捨てられないと思うの」(米原万里嘘つきアーニャの真っ赤な真実角川学芸出版 、2004年、p.291)

 

 

母の友 2017年2月号 特集「LGBT 自分の性をいきる! 」

母の友 2017年2月号 特集「LGBT 自分の性をいきる! 」

 

 

本来、法律上の結婚は、家族の幸せを守るためにあるもののはず。幸せの権利は、どんな家族にも平等にあり、家族のかたちは、その家族によってそれぞれです。でもいつの間にか人の営みと法律の重要性が逆転してしまって、法律上の結婚ができない人たちはよくない存在、幸せになれなくて当たり前の人たちになってしまっているんですよね。(南和行「ふうふのかたち、家族のかたち」、『母の友 2017年2月号 特集「LGBT 自分の性をいきる! 」』、2016年12月22日、p.30)

 

「同性カップルの結婚を法律で認める」ことへの議論は、単に同性愛者だけの問題ではなく、なぜ、法律上の結婚をした人たちに限って、様々な権利や恩恵が認められるのか、という結婚の本質を探る議論だと思います。

戦後の日本は一時的に人の営みが、均一化され、法律もそれに合わせるように整えられてきましたが、今また、社会が変わってきていて、国境をまたいだ人の移動も盛んになり、働き方も多様になってきて、法律というものが、どうもカバーしきれてないんじゃないかと思います。法律からこぼれる人が多くなってきたならば、人を法律に押し込めるのではなく法律を広げる議論を進めればいいと思うのです。(南和行「ふうふのかたち、家族のかたち」、『母の友 2017年2月号 特集「LGBT 自分の性をいきる! 」』、2016年12月22日、p.31)

 

私たちは別に奇を衒って同性カップルとして人生を送っているのではなく、これまで暮らしてきた連続性の上に今の人生が成り立っています。どんな人でもそれは同じで、背景の事情が人を不幸にするのではなく、今、その瞬間のいろんなことが、人を不幸にしたり、幸せにしたりするわけですよね。だから、自分の価値観だけで、他人の人生を、あの人は幸せで、あの人は不幸せだと判断するのではなくて、人の営みがそこにあるのですから、そこにいる家族が幸せに生きられるように、みんなで工夫しましょうと思うのです。(南和行「ふうふのかたち、家族のかたち」、『母の友 2017年2月号 特集「LGBT 自分の性をいきる! 」』、2016年12月22日、pp.31-31)